■「内定への一言」バックナンバー編


「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」(橘曙覧)


その




クリントン前大統領と言えば、二期目は「フリントン」と呼ばれるほどスキャンダルに苦しんだ大統領でしたが、経済政策は民主党らしく「緊縮・節制」で、現ブッシュ大統領が毎月、過去最高の財政赤字を更新するほど、声望を高めている政治家でもあります。



そのクリントンさんが、かつて同じ民主党出身のケネディ大統領と同じようなことを、わが日本に対して行いました。それは一体、どんなことだったのでしょう?




ケネディ大統領は、「最も尊敬する日本人は?」と聞かれて、上杉鷹山です」と答えました。



米沢藩を窮乏のどん底から再建した名君主の物語は、今でこそメジャーな「再起のドラマ」となっていますが、何と言っても戦後の日本の教育は「日本人の誇りを奪い、日本の英雄を忘れさせ、戦勝国の奴隷にすること」を眼目に行われたものであったため、この答えには日本人記者の方がびっくりしたようです。




考えてみれば、ケネディ大統領が就任した頃のアメリカは、内政では黒人の自由民権闘争が激化し、外交ではソ連との果てしない軍拡競争が繰り広げられ、若者はヒッピーとなって無気力主義に陥り、老人は祖国の行く末を嘆くという状態だったので、アメリカの現状が、鷹山が藩主になった当時の米沢藩とだぶったのかもしれませんね。




日本では、まさに「逆輸入」のように鷹山ブームが訪れ、多くの日本人が、歴史教科書から消された英雄の姿に、生きる勇気をもらいました。これが、ケネディ大統領のエピソードです。では、クリントンさんは何をしたんでしょう?




1993年(平成六年)6月13日、天皇・皇后両陛下が訪米されました。その時のアメリカ国民の歓迎ぶりは、日本人の方が驚いたほどで、日の丸には金の帯が飾られ、アメリカ国民は「世界最古の王朝・日本からエンペラーが来る!」と大変なにぎわいを見せました。




アメリカといえば、国の成り立ちからして「ベンチャー企業」のような国家です。活力と産業力は世界随一で、世界中の若者を憧れさせる魅力を放つ国です。しかし、唯一のコンプレックスは、歴史が短いこと。



ゆえに、イギリスやスペイン、スウェーデンのような王様がいる国を、アメリカ人は特に尊敬し、憧れています。そんな中でも別格の国が日本。なんせ、一度も血筋が断絶したことのない元首を持っている国は、世界に一つです。




世界中の識者が日本の伝統の素晴らしさを認め、アインシュタインも、「世界がこの地球に日本という国を残しておいてくれたことを、私は神に感謝する」と言い残しています。




その歓迎スピーチに備え、クリントンさんはある準備を練っていました。それは、「とっておきのエピソードを披露し、日本人を喜ばせること」。そのため、彼は日本の歴史を勉強し、ある歌人の姿に強く心を打たれました。




それが、今日御紹介する橘曙覧(たちばな・あけみ)です。彼の作品集である「独楽吟(どくらくぎん)」の一首である、「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」を引用し、「日本人の精神文化はなんと素晴らしいんでしょう」とあいさつをしたわけです。




アメリカ人は何に感動したかというと、日本人が持つ、身近なものへの素朴な感動を大切にする精神です。当時のアメリカは(今もですが)、世界一の借金大国で、国民一人当たり4.3枚のクレジットカードを持ち、家計は火の車でした。



なぜそうなったかと言えば、「モノ」の楽しみばかりを求め、隣近所と競い合い、虚栄心に人生を捧げる国だったからです。



「あいつよりいい車を所有してるぜ」

「みんなが羨むいい女とつきあってるぜ」

「子供を○○高校に行かせてるの」

「有名企業のエリート社員と恋をしてるの」



こういうことが悪いとは言いませんが、人と比べる幸せ・楽しみは際限なく出費を要します。かくして、アメリカ人の大半が借金漬けになり、やせ我慢とカラ元気の国になってしまったわけです。




そんな折、東洋にある世界最古の王朝から、エンペラーが来る、ということになりました。かの国はなぜ、126代もの長きにわたって、連綿と続く皇室を戴いてきたのか?かの国を支える精神文化とは、一体何か?アメリカ政府は研究に研究を重ね、福井藩のある歌人の思想に打たれました。




彼は「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」という歌を残しています。その歌が、多くの日本人の中に受け継がれ、「彼に比べると私は修行が足りない」と言う多くの老人がいます。こういう歌が受け入れられる文化的背景があることに、アメリカ人は驚いたのです。




この歌は、別にこのままでも分かりますが、意訳すれば、「楽しみは、朝起きてみて、昨日まで咲いていなかった花が咲いているのを見る時だね」と言っているのです。




素朴すぎる。しかし分かる。そう思った大統領は、この歌を天皇陛下に披露し、「日本は素晴らしい国ですね」とあいさつをしたそうです。そして、かつて上杉鷹山がブームになったように、橘曙覧が再評価され始めました。正しくは、思い出されました。クリントン大統領に感謝ですね。




この話を、僕は海外勤務からの一時帰国の時に、ヤンマーディーゼル福岡支店の元支店長さんから聞きました。詳しくは 「橘曙覧~たのしみの思想~」(神一行・主婦と生活社絶版) に掲載されているので、知りたい方はそちらを読んでいただくとして、彼の人生の略歴だけを御紹介しましょう。



橘曙覧は幕末の歌人・福井藩の国学者で、文化9年(1812)、福井城下町の商家の子として生まれました。2歳で母鶴子と死別、15歳で父が没し、母の没後、母の実家である府中大黒町の酢醸造商・山本平三郎に養育されます。



文政9年(182615歳のとき仏教を学び、18歳のとき、京都の児玉旗山の塾に入門し、数ヶ月後に帰国。弘化元年(1844)飛騨高山の国学者、田中大秀(おおひで)に入門。安政5年(1858)、松平春嶽の命を受け「万葉集」秀歌36首を撰歌して、自らの歌と共に春嶽のもとに送り、文久3年(1863)福井藩の政変で蟄居を命じられた中根雪江にも和歌を贈っています。



慶応3年(186712月、王政復古の大号令布告により歓喜の歌を詠んだ。しかし、慶応4年(1868)8月28日、維新を見ずに世を去ることを嘆きつつ、57歳で病没しました