■「内定への一言」バックナンバー編
「もうそろそろ、現実に目覚めようではないか」(岡倉天心)
その①
今日から僕もお盆休み。昨日はお昼から、前号のメルマガでご紹介した「英語教育大論争」をお届けするため、西南法4・I君と赤坂ベローチェで会いました。話題はあちこちに飛び、英語教育の話をするつもりが、飲食店経営や会計の話に。
I君は居酒屋のアルバイトで、実によく人間観察をしているなぁと感じました。いつも仲の良いM君、N君と一緒に、残りの大学生活と、その前の「学生生活最後の夏休み」をしっかり充実させてほしいものだ、と思わずにはいられませんでした。
さて、最近わが家には良書が続々揃い、毎晩読むのが楽しくてたまりません。僕が近頃決めているテーマは、「偉人たちの青年期の営み」です。
これはもう、読むのが嫌になるほどすごい人たちばかりで、僕と同じ年の頃に何をしていたかを知るほど、自分の未熟さや不明ぶりに恥じ入り、「これじゃいかん、もっと頑張らないと」と叱咤激励される気分です。
しかし、自分が低く構えている方が、どんな人からも学べるもの。FUNではそうやって、自分が小さく見えるような偉大な人物からの学びを重視してきました。
ちなみに、このお盆休みから8月末にかけて、本メルマガの全バックナンバー300号を…
A 学生、大学、雇用、就職活動、就職、コミュニケーション(6項目)
B 歴史、古典、人物、戦争(4項目)
C 仕事、業界事情、経営、創業(4項目)
D 書評、読書、文化、海外、語学(5項目)
E 発想、勉強法、語学(3項目)
F 経済、金融、会計、マネー(4項目)
の「6分野・26項目」に再編集します。今日はスタバ&ミスドで、黙々と分類に没頭しました。
「ワードで804ページ」という分量を、学生さんや新社会人の方々がデータベースとして活用しやすいよう、①人物、②専門用語、③書籍のインデックスを別冊で付けて作成するので、楽しみにしておいて下さいね。でも、今日は長崎から赤ちゃん3人が遊びに来るので、作業はお休みですが…。
ところで、『内定への一言』と題して配信してきた本メルマガの「項目分類&一次仕訳作業」で、改めて確認できたことがありました。それは…。「就職の話題が、実は一番少なかった」ということでした(ありゃ…)。
でも、それでいいんです。皆さんは、「虹」を見たことはありますよね。では、虹のふもとに立ったことはありますか?え、ない?そういう方は、プールなどでホースから水をまく時に、小さな虹を見たことはあるでしょう。
あれは、なかなか見えにくくて、たとえ小さくても虹が見えると、子供の頃はなんだか得した気分になって嬉しかったですよね。
このメルマガも、その「虹」のようなものです。つまり、「対象に近付きすぎると、水滴しか見えない」ように、就職という小さな話題ばかり扱っていては、社会や歴史全体の美しさや姿は、決して見えてきません。
若いうちは、こせこせと要領に頼るような卑しい人間になるよりは、まず総体を大らかに見て、「虹とはこのように美しいものなのか」という実感を確立することの方が大事だと、僕は考えます。それから、虹を構成する水滴を見ればいいのです。
大好きな虹と関連付けられた「部分=水滴」の知識を得ることは、楽しい作業になっているでしょう。
でも、先に水滴を見たばかりに、「なんだ、全然美しくないじゃないか」と見切りを付けてしまったら、どうでしょう?不幸にして、先に「就職なんて、全然面白くないね」と思い込んでしまった人には、いくら経営や事業の面白さ、会計の魅力、人間の可能性を説いたところで…
「でもさ、それって特別な人でしょ」
「オレは信じないね、そんな話」
「だから何なの?私には関係ないわ」
と、自らチャンスを弾き返すような冷たい答えが返ってくるものです。
まだ何もやってないのに、何も知っていないのに、全てを知ったような顔をして、悟りきったようなことを言う。でもその実、価値あることは何も進展していない…。なんとかわいそうなことでしょうか。
だから僕は、未だに免許と英検しか持っていない「専門なし」の人間ですが、学生さんにものを説明する時は、必ず「虹⇒水滴」の順で話すようにしています。
逆だと「別にいいです」とか「興味ないですね」と言われるからです。そのアプローチは、FUNの部員の皆さんなら全員ご存知ですよね。
①まず、全体の概要と学ぶ意義、使命を説く。
②この知識を活用して可能になることを紹介し、成功した人たちの事例を徹底的に紹介していく。
③そして、その成功者とは「君たちのことだ」と何度も何度も繰り返す。
こういう方針で学生さんと接すると、それまで「カイケー?居酒屋のおあいそのこと?」と言っていた女子大生も、こっそりと「金持ち父さん」を買ったりするのです。
そして、以前は「接客」とか「趣味を生かせる仕事」、「憧れの仕事」と言っていたのを忘れて…。
「コンサルティングがやりたいです!」、「大金を動かしたいです!」、「企業再建に燃えたいです!」とか言い出すものです。
目的をもって学ぶ学生さんの、なんと頼もしく、また成長の早いことか。夢に目覚めた若者は、本当に素晴らしいです。こうなると、もう僕には、たけのこの里を食べるくらいしか、やることはありません。
あとは、放っておいても、「そこまでは学ばなくてもいい」と言っても、勝手にどんどん勉強します。
大学にも、該博な知識を持った先生はたくさんおられるのに、「興味を持たせる」ことが下手なばかりに、生徒と不協和音を作り出している人が多いのではないか、と「教育のド素人」の僕は時々思います。
詳しい知識を持っていることは、それはそれで結構なことですが、「相手の頭の中に虹はあるか?」を考慮せずに説明しても、「わかんない~」と言われるだけ。
それを見て、教授や教師は「最近の学生は頭が悪いなぁ」と思うのかもしれませんが、経営者の僕から見れば、自分の知識を専門用語でしか語れない人間の方が、よっぽど頭が悪いと感じます。
もっとも、こんなことを言っても、水滴の専門家の方からは「君に何が分かるんだ」と言われるだけですが。すみません。虹ばかり見てて。リッチー・ブラックモアが好きなもので…。
ちなみに、この「虹と水滴」の話は、西尾幹二さんか渡部昇一さんが、歴史教育の本で書いていたものですが、タイトルは忘れました。今度調べて紹介しますね。
さて、メルマガ再編集の作業で分かったもう一つのことは「一番多かった話題」です。 それは当然、長年の読者の方はお分かりでしょう。
バックナンバーの転送が最も多く、就活での引用も多く、内定後に「役立った」という声が最も多いトピックは…。「歴史と人物」です。
調べてみたら、全26項目に分けたうちで、歴史・人物・会計・経営に関する話題が、3割にも及んでいました。これは、当然ですが「3回のうち1回は、その話題」ということです。これはもう、「先人の一言」というタイトルに変えないといけないかも…。
僕が日頃どんな本を読み、何を考えてきたかが、メルマガを振り返るとよく分かり、学生さんから「就活と関係ないけど、人生と関係ありまくり」という感想が多いのもうなずけました。
そんな僕が最近読んだのが、岡倉天心の「東洋の理想」(岩波文庫)です。大橋文庫で、古いのももう1冊、80円で買ってしまいました。
僕はマレーシアで働いた時、東南アジアの人たちがあまりに親日的で、日本の学校教育、とりわけ歴史教育がまったくのデタラメだということを骨身にしみて味わいました。そんな感動は、生まれてこの方、1度も味わったことはなかったのです。
だから、「日本よ、ありがとう」と言われて感動しまくって、帰国してからもそういう本ばかりを読みました。
もちろん、本メルマガでは政治的な意見は控え、ただ、事実や僕の意見だけを、できるだけ客観的に書きたいと思います。
東洋の近現代史を学ぶにつれ、「大アジア主義」という思想が勃興してきたのを知った僕は、「黎明の世紀」(深田祐介/文春文庫)や「巣鴨の生と死」(花山信勝/中公文庫)、「東京裁判・日本の弁明」(小堀圭一郎/講談社学術文庫)などを読みました。あの頃は、左右どちらの思想の本も、よく読んだと思います。
そこから分かってきたのが、「アジアは一つ」という思想は、美術家だった岡倉覚三(天心)が唱えた思想だった、ということでした。もちろん、天心は後世の外交や戦争を見ることなく、53歳の若さで世を去っていますから、この言葉は純粋に、人道的な見地に基づくものでした。
どの本を読んでも、天心の言動を引用している部分で伝わってくる人物像は「早熟の豪傑思想家」といったイメージばかりで、僕は興味を惹かれました。
横浜の貿易商人の家に生まれた角蔵(のち覚三に改名、天心は雅号)は、3歳の頃から叔母と姻戚関係にある橋本左内(景岳)の話を聞いて育ち、6歳から英語を学び始めました。
天心は、幼少期から非常に頭の回転が早く、まっすぐな心を忘れずに、すぐに物事の本質を把握する天才肌の少年でした。特に耳がよく、9歳の時には、既にイギリス人やアメリカ人がネイティブと間違えるほどの会話力や発音を身につけたそうです。
しかし、外国の地を踏むことなく10歳になる前に、日本語より英語のほうが達者になってしまい、漢文が読めないことを知った父が、「これではいけない」とあるお寺に寄宿させ、漢文修行を受けさせたそうです。
作家・夏目漱石、禅学の大家・鈴木大拙、政治家・新渡戸稲造など、歴史に比類がない明治~大正期の「英語の達人」に共通していることは、皆、「幼い頃に漢文を叩き込まれた」という経験を持っていることです。
天心もまた、お寺で出会った玄導和尚に漢文を学び、そこから彼の漢文読解力、国語力、英語力はめきめき上達していったそうです。
ちなみに、天心の語学修行を知りたい方は、「英語達人列伝」(斎藤兆史/中公新書)を読んでみるといいですよ。また、「茶の本」(岩波文庫)は難解ですが、晩年の天心の思想に触れるための代表作です。
のち、18歳で東京大学を卒業したのは、後にも先にも天心一人しかいません。森鴎外ですら、19歳でした。鴎外が、後に帝国陸軍の軍医として日露戦争に従軍し、エリート街道を進むのに比べて、天心は美への探究心を生かし、美術の研究を開始します。
彼は18歳で文部省に入り、京都や奈良で仏教美術の研究と資料整備に努め、当時開設された東京美術学校(のちの東京芸大)で俊才たちの育成に当たりながら、28歳の時に東京芸術大学の学長に就任しています。
その後、アメリカのボストン美術館で、学生時代の恩師・フェノロサとともに、美術品の整理・研究に打ち込むことになった天心は、そこで東洋人がどれだけ差別されているか、また日本を正しく理解する西洋人がいかに少ないかを、肌で感じました。
そんな事情を目の当たりにした彼は、ボストン美術館で「東洋部長」として活躍し、日本を知らないアメリカ人に東洋美術の魅力を伝える活動に尽力します。ちなみに、その頃の彼の豪傑ぶりを示す、あるエピソードがあります。今から103年前の実話です。
1903年、ボストン美術館から招聘を受けた天心は、のちに大画家となって名作を残す横山大観や菱田春草らの弟子たちと渡米しました。1862年生まれの天心や、それより若い弟子たちには、「欧米」は憧れと驚きの対象であり、見るもの全てが日本人としての自分を圧倒するものばかりで、到着してから毎日が発見の連続でした。
そんな天心たちがある日、日本風の「羽織袴」でボストンの町を散歩していたところに、「東洋人だ」と不思議に思って近付いてきた若いアメリカ人が、冷やかしの言葉を投げつけてきました。