■「内定への一言」バックナンバー編
「自己を運びて万法を修証するが迷。
万法進みて自己を修証するが悟」(道元)
第①期「営業塾」が、この日曜をもって終了しました。発見や感動が多く、僕自身も大変勉強になった集まりでしたが、特に感動したことといえば、やはりこのことです。「全6回のうち5回も、長野県から新卒のA君が参加してくれた」。
A君は久留米大学出身で、現在は長野県のメーカーで営業をしています。学生時代もFUNの部員ではなかったのですが、面接対策講座でご縁を頂いて以来、時々お話をする学生さんでした。
A君は、「学生時代のような熱い気持ちで、仕事や社会人生活を楽しみたい!」という熱意を持って、新天地で過ごしていたそうです。営業塾の案内を見て、「参加します」というメールをいただいた時、住んでいる場所にびっくりしました。
「長野で働いています。日曜なら参加できるので、飛行機で行きます」。そして本当に、毎回早朝に長野を出て、羽田空港経由で、重い荷物を携えて博多まで来てくれたのです。
「こんな勉強ができるなら、長野からだって来ますよ。それに、大月さんや隈本さん、山田君にまた会えるなら、航空運賃なんて惜しくありません」。なんと嬉しく、優しく、頼もしい言葉でしょうか。
「これは、良い勉強会にせねば」と気持ちを引き締めた言葉でもありました。A君、本当にありがとうございます。資料などは後日郵送しますから、楽しみにしておいて下さいね。
また、参加された方は今後も無料で継続参加OKですから、ぜひ実践を通じて営業の楽しみを味わい、ともに学びを深めていきましょう。
さて、FUNでは発足以来、土曜の朝に「Business Cafe」という定例勉強会を続けており、もう4年目を迎えます。
元はFUNゼミの補習でやっていたのですが、去年の夏からは「絶版の名著」を読んで語り合う集まりになっています。その中で、「BCで読む本は、FUNの講義とは、また一風変わった内容ですね」という声を聞きました。
それはそうです。FUNでは実務的なことばかり勉強していますが、営業や経営では、手法や技術の重要性など末端の数%に過ぎません。最も大事なのは、言うまでもなく「考え方」です。
僕も日頃は、営業や会計、新事業、広告などのことを考えていますが、別にいつもそればかりではありません。それどころか、あんまり頭が「仕事、仕事」となると精神衛生上良くないので、もちろん、精神集中というか、適度な解放による自己省察の時間を大切にしています。
「週末の朝」という、一週間を振り返りながら、新たな週を展望する時間帯に行われる勉強会で読む本としては、そのような「心を清らかに保つ名著」がふさわしいとの考えから、古い作品を中心に紹介しているわけです。
幸い、選ぶ本は毎回好評のようで、学生の皆さんが「今度探す本リスト」に加えてくれることも多いようです。僕は、別にいつも同じ人というわけではないのですが、学生時代から分野別に愛読している人たちの顔ぶれは、あまり変わっていないように思います。それは…
■心を清らかに保ち、物を見る目を洗い直したい時
小林秀雄、岡潔、福田恒存
■知性に磨きをかけ、観察力と思考力を確認したい時
山本七平、渡部昇一、岡崎久彦、小泉信三
■意欲を高め、原点に返りながら目標を見つめ直したい時
城山三郎、司馬遼太郎、深田祐介、山岡荘八
といった顔ぶれです。
この中でも、FUNの学生さん(BC参加者)に一番人気があるのは、なんといっても小林秀雄さんの作品でしょう。皆さん、本当にセンスがいいですね。
今までに、「大切なことを思い出した」、「物の見方、考え方が優しくなった」、「ここまで深い考えがあるのか」と、様々な声を聞きました。
僕が学生時代に感じたのと同じような感想が嬉しくて、「そういえば、岡さんの本もあったな」と先日押入れを探してみると…ありました。名著「春宵十話」(角川文庫)。
小林さんより少し年長で、奈良女子大学の教授を務め、文化勲章を受章した数学者・岡潔さんの自伝を含めたエッセイ集です。もう、僕も何度この本で軌道修正できたか分からないくらい、感謝している本です。
日本の心の美しさ、自然の優しさを独特の筆致で綴り、教育問題や文化の成長・衰退を「これ以上深く見ることは不可能じゃないか」と思うくらい鋭く、優しく説く姿勢に、学生の皆さんもきっと感動するはずだと、早速「候補」に加えました。
この岡さんと小林さんの対談「人間の建設」は、何度読んでも言葉を発せられないくらいの感動や気付き、あるいは深い問題意識を喚起してくれ、学生時代に読まずにはいられない本だと言えます。
さて、日頃は会計や経営ばかり考えている僕は、主に創業者や経営者の本をよく読みます。あるいは、財務や人事の実務書もよく読みます。
でも、それだけじゃいけないので、一流の学者の本やスポーツ選手、教育者の本も時々読みます。その中で非常に不思議だと思っていたことが、「なぜ、その道で最高峰を極めた人は、皆、禅に興味を持つのか」ということでした。
総理大臣、超一流スポーツ選手、巨大企業のオーナー、伝説的創業者、その道の大御所…こういう人の本を、昔は特に読みまくりました。
最近読んだ「経営と税制」(飯塚毅/PHP)は、TKCの創業者の本ですが、この中にも「禅の精神と会計の一致」めいた話がたくさん出てきます。
戦後を代表する京都のコンサル会社「タナベ経営」の創業者・田辺昇一さんの「わが道をゆく」(ダイヤモンド社)にも、経営と禅の関係について触れた箇所があります。
そして、最近読み返した「春宵十話」の中の「日本的情緒について」の中にも、禅の言葉が。学生時代は、あまり重視せずに読み飛ばしていたのでしょうが、今回読み返して「そうか!」と感じました。それだけ、昔の僕は未熟だったのでしょう。
また10年後に読むと、別の箇所に感動するのでしょうが…。名著とは、そういう本でしょう。何度も読めて、読むたびに自分を叱ってくれ、成長のきっかけを与えてくれ、深い感動で包んでくれる本。そういう本に若い頃、何冊出会うかが、人生を決めます。
さて、「春宵十話」の中にあった言葉とは、皆さんも歴史で習ったであろう道元禅師の以下の言葉です。もっとも、学校では「リンザイ宗はエーサイ、ソートー宗はドーゲン」のような、唯物論的な知識しか得なかったかもしれませんが…。
福井に「永平寺」を開き、現在も「禅の祖」と慕われる道元の言葉とは、「自己を運びて万法を修証するが迷。万法進みて自己を修証するが悟」という一言です。
分かりやすく現代語に意訳してみると、「自分の基準で現象を修正、検証するのが迷い。自然の法則で自分を修正、検証するのが悟り」という意味です。
岡潔さんの本の中では、この言葉を少年の教育を論じた部分で用いているのですが、そこで懸念している問題は、残念ながら、45年後の日本では、さらに悪い形で全て的中しています。
戦後の日本では、人知に対する「致命的な思い上がり」を国民が持つようになり、過去や未来、自然や伝統すらも、「今の価値観」という裏付けに乏しい感情で分析・批判するようになりました。
その結果は、これだけ情報ツールが発展し、教育インフラも整いながらも、迷い、自殺、犯罪、家族崩壊、伝統破壊のオンパレードに。交通事故の死者の3倍、日清戦争の戦死者の8倍もの自殺者がいるなんて、あまりにいびつな社会です。
なんと「15分に1人」が自殺し、「3分に1人」が、未遂であれ試みている計算です。岡さんは、花や昆虫の話を使って、子供の頃に情緒を豊かに育てることが、人間にとって、また社会にとってどれだけ大切かを、繰り返し繰り返し強調し、日本の行く末を案じています。
「人づくりなんて、なんとおこがましい考えか。人は自然が育ててくれるのだ。人間はただ、その手伝いができるに過ぎぬ」。
「一年間違った教育をやると、修正には二年かかる。今のような教育では、十七、八歳くらいには脳底に損傷が生まれ、征服欲や劣等感など、動物的本能のままに動く人間が増えるだけだろう」。
「人間には、見る世界と見える世界がある。見える世界の摂理を無視して見る世界のみの調和を求めようとすると、どのようなことになるのか、考えているのだろうか」。
岡さんが案じているのは、全て「自己を運びて万法を修証する」という「迷」方式の思考回路から生まれる行動と、その結果です。
要するに、「自分がやりたいから、やる」、「そう思うから、それが正しい」という、完全に自己都合の動機で勝手に動き、相手や自然の存在を顧みない「迷」の状態に陥った国民の行く末を案じているのです。
現代の日本では、何かを思っていることや、何かに対して無価値でも独創的な意見を持っていることだけで、「個性」とか言われます。
しかし、個性という言葉は、そんなに安売りできる概念ではないでしょう。言葉をもてあそぶ者は、言葉にもてあそばれるものです。
就職活動でも、進まず、進んでも通らず、通っても不安なのは、「自分の動機だけで仕事や社会を解釈したがる学生」です。そうしないと不安なのでしょう。
しかし、そのような「自分、自分」という考えこそが、迷いの根源であることを知る必要があります。
業界や企業に対する認識が、経済の仕組みや事業の本質、経営の魅力といった「自然の営み」に基づいた動機からもたらされていれば、そのような学生は打たれ強く、たくさんの内定をもらうものです。
要するに、「自分の動機で仕事を見るのが迷。仕事の成り立ちから自分を修正するのが悟」とも言えるでしょう。
仕事とは、世の中の問題解決を通じて社会に貢献し、その過程で自己表現を行っていくことです。仕事が成り立つところには、必ず喜びがあります。つまり、「相手」がいます。
そして、お客さんの喜びが生まれる方法のみが、自然に継続する関係を生み出します。
「自分なり」とか、「自分がやりたいように」とは、もっともらしく聞こえながらも、実は自分を理想から遠ざける動機と言えるでしょう。自分を押し通して得られる成功など、この世に一つとして存在しません。
かといって、成功するには「自分の抑圧」が必要というわけでもないのです。ただ、相手の言うがままに「パシリ」となるのが仕事だ、というわけではありません。「相手も嬉しい。だから自分も嬉しい」という一致点を求めて仕事を選び、決めるのが、最も理想的で本質的な就職活動だと言えます。
そのような動機は、内定しても消えるどころか、ますます成長していきます。「自分が楽しい」とか言っているうちは、まだ知識不足の好奇心の発露に過ぎません。楽しいのは、飽きます。
でも、経営や会計の原則を知り、お客様の本当の幸せを願う時、そこには必ず、必要な修正がおのずと生まれてきて、その修正が楽しくなっていきます。
「親が育てば子も育つ」と言われます。同様に、「自分が育てば仕事も育つ」と言えるでしょう。もし、仕事が楽しくないのなら、それは自分が成長していないからです。
就活が楽しくない、と言うなら、それは同じ動機にこだわっているからでしょう。相手の喜びを動機とし、その獲得・増加を目的にすれば、飽きることもなく、ましてや疲れることなど考えも及びません。
楽しい就活、あるいは充実した仕事がしたいなら、そのように働いている人と話すことです。おそらく、恐ろしく当たり前のことを、真剣な顔をして語ってくれるでしょう。
秘訣とは、現実を逃げた場所ではなく、目の前の現実そのものの中にしか、ないのですから。そして、そういう「普通の言葉」が似合う人と自分を比べ、自然に修正点が見えてくるでしょう。
素直じゃなければ、「ふん、自分とはどうせ違うんだ」と思って、また暗い世界に戻っていくだけです。それが「迷」です。
迷いもまた、成長の糧であることは間違いありませんが、迷いにもレベルがあります。
どうせ悩むなら、最後になって「あ~、嫌だ!」と投げ出すためではなく、心からの余裕と自信を生む「悟」に行き着くために、どんどん悩みたいものですね。