■「内定への一言」バックナンバー編


「居てはその親しむところを見る。

富みてはその与うるところを見る。

達してはその挙ぐるところを見る。

貧にしてはその取らざるところを見る。

窮してはその為さざるところを見る。」(十八史略)




四五一七人の様々な人物が登場し、およそこの世で考えられる限りの人間関係の全てを凝縮し、十八の中国歴代王朝の栄枯盛衰を記した、最高の古典作品の一つが「十八史略」です。



日本産業(現:日産自動車、日立製作所など)財閥の創業者で、「政財界の両棲動物」と言われた鮎川義介は、「もしワシが投獄されることになって、何か一冊だけ本を牢獄に持っていってよいと言われたら、迷わずこの本を持っていく」と言い切っています。(『十八史略の人物学』伊藤肇・PHP文庫




では、その理由とは?鮎川は続けます。「英雄、豪傑、奸臣、悪女、毒婦、聖人、小人…あらゆる人間が繰り広げる壮大な人間劇を観賞すれば、おのずから人間学を極められる、というものじゃ」。




鮎川のこの言葉通り、「十八史略」は、三国志のような英雄列伝の物語でもなく、水滸伝のような任侠物語でもなく、金瓶梅のような色物文学でもなく、リアリズムの極致をいくような史実を記した「時代と人間の記録」です。それだけに、古来から帝王や将軍といった「人の上に立つ人物」が、判断の最も頼れる根拠として、何度も何度も読んだ書物です。



現代では経営者や政治家が愛読する書物として、多くの判断を成功に導いているのは、書店に行けばよく分かるでしょう。前田利家が兵糧や弾薬の残量を測るため、戦場でもいつも鎧に算盤を入れていたように、古来のリーダーは肌身離さず、「十八史略」を携帯していたのです。



そんな古典の中で、「信じて絶対に間違いない」とされてきた「人物鑑定の極意」が、冒頭に掲げた言葉。しかし、ちょっと難しいですよね。そこで、現代語に意訳してみましょう。




居てはその親しむところを見る。(自由時間に何をする人間かを見よ)

命令されていない、たった一人の時に何を優先する人なのかを見れば、その人の人生や時間に対する姿勢、信用の度合いが見えてくる。



富みてはその与うるところを見る。(豊かになったら何にお金を使う人間かを見よ)

突然の獲物にしても、努力と継続の産物にしても、自分が手にした大金をどう処分するかを観察すれば、その人が結局どういう人物なのか、見えてくる。



達してはその挙ぐるところを見る。(一定の地位を得たら、近くにどのような人を配置する人間かを見よ)

自分が優位に立てる地位に就いた時、側近や部下にどのような人材を置きたがるかを見れば、その人が考えていることや守りたい利益が見えてくる。



貧にしてはその取らざるところを見る。(貧しい状態にあっても取らないものを見よ)

お金がないからといって、普段はしないことをしたり、普段は取らない他人のものを取ったりするようでは、その人が平素口にしていることは、信用できない。



窮してはその為さざるところを見る。(苦しい状態にあってもやらないことを見よ)

状況や事情が大変になったからといって、普段はしないことをしたり、楽な時はしないといっていたことをしたりするようでは、その人が平素口にしていることは、信用できない。




というものです。シンプルだけど、心が「ズキッ」と痛む本質的な指摘ばかりですよね。昔の人も今の人も、この五つの戒めを突きつけられると沈黙します。「確かに」と。



だから先人は、このような規範に照らして恥ずかしくないように、また、周囲が求める基準や期待を下回ったり裏切ったりしないように、自ら言動を律し、行いに責任を持って事に臨んだのです。さすが、世界史上最大の版図を築いた元帝国の時代に生まれた書物だけあって、アジアを制覇した文学作品は、今でも色濃く企業やスポーツチームなどの経営・人事に反映されています。




学生の皆さんが書く「エントリーシート」でも、最も多く聞かれる内容は「時間の使い方」や「熱中したこと」ですが、これは「一人の時に何をするか」、「自分が得た時間という資源をどう生かしたか」を聞きたいのです。また、面接で「失敗や挑戦の経験」を聞かれた場合は、苦しい時にどう対処する人間なのか、前進する際に何を支えにするかを見たいのです。



「友達にどういう人だと思われていますか?」

「一○○○万円あったら、何をしたいですか?」

「人生で一番苦労したことは何ですか?」

「今、一年間の時間をもらったら、何をしますか?」




いずれも、十八史略の指摘通りです。社長という組織のトップが、十八史略的な人物鑑定論・人材評価方法を採用してその人事部長を学生時代に採用したのですから、当然といえば当然です。つまり、冒頭の言葉は、学生の皆さんにも見事に適用されるものだ、ということです。




FUNにも以前は、就活中は礼儀正しく勤勉なのに、内定をもらった途端に「卒論があるんで…」とか、「研究が始まるので…」と気まずそうに言い、後輩を見捨てて退部する「食い逃げ学生」がいました。(今はそういう人は入部禁止ですが)。これは、十八史略を愛読してきた僕から見れば、面白すぎるウソです。



その学生が数ヶ月前、どのような態度でエントリーシートに向き合っていたか、他の学生が前倒しで頑張っている間、どんな姿勢で就活を捉えていたか、「どうしても受けたい会社だから」と早朝から待ち合わせた喫茶店に、どういう登場の仕方をしたか…。僕は全て覚えています。ギリギリで取り掛かり、書き方は粗末で、「ここで小島さんに見てもらえればいいや」という、見かけだけ礼儀正しい態度で接し、遅刻と怠慢を繰り返していたことを。



つまり、そんな学生が「卒論だ」とか「研究だ」と言っても、それは本当なのかもしれませんが、「おまえ、そんなウソ言って、どうせ今日も家でテレビ見てブラブラしてんだろ?」と、最初から信用する気になれない、ということです。




ということで、人の信頼を得ようと思ったら、取り組んでいる姿勢そのものよりも、事前の準備や事後の態度の方が大事だということです。そして、そういうシンプルな姿勢さえ習慣化すれば、内定ごときはいくらでも取れるということです。そういう姿勢を評価しない会社は「願い下げ」にしてやればいいのです。




今、マーケティングで流行っているツールを知っていますか?それは、ネット全盛の時代に逆行するようですが、実は「ハガキ」です。誠意を込めて、自分と時間を共有してくれた相手に対し、メールではなく「手書きのハガキ」でクイックレスポンスのフォローを行うと、どんな広告のプロでも追い付けないくらい、売上は加速し、ネットワークが拡大するといいます。「自由時間にこんなことをしてくれるなんて」と相手を感動させたのは、言うまでもありません。




つまり、やたらとマニアックな知識で武装し、経験も豊富な社会人を相手にしても、学生の皆さんが人として守るべき出処進退の道をわきまえ、事前の準備や事後の態度で相手に敬意と感謝を表することができれば、十分戦えるということです。



僕たち社会人は、学生に細かい知識や立ち入った業界事情の理解などは、求めていません。それよりも、当たり前のことを素直にできるか、こまごまとしたことに動じずに、若者らしく爽やかに、謙虚に対処できるか、を一番見ます。元気で伸び伸びとしている様子に、「学生っていいなぁ」と感じるのです。



なぜなら、「素直さ」があれば、全ての能力をプレゼントできるから。素直じゃない若者の能力など、あっても邪魔なだけのゴミです。



あなたも自分の知らないところで、いつも誰かに評価されています。その評価を上向きにするか、あるいは下降させるか。「自分の評価を高めたい!」と望む方にとって、冒頭の指摘は、信じて間違いない基準ですよ。



それは、自由時間を取材や経営の勉強に当て、地道に勉強会に出席して未来を先取りしてきた学生を見ても、十分すぎるくらい分かることです。今、少しずつ集まっている「読者アンケート」からも、それが証明されています。