■「内定への一言」バックナンバー編
「外付けではなく、自分が作り出した感動を語ろう」
僕は今でもそうですが、昔からドラマや映画を全然見ず、子供の頃は話題がなくて困りました。現代は演出と広告の時代で、毎日世界中で、大量の感動が創作されています。映画やドラマもその一つで、僕も名作は多少見ました。
しかし、考えてみると、それらは作為的に計算された感動です。フィクションであれノンフィクションであれ、素晴らしい作品や史実には心から感動しますが、自分の払った努力といえば、「借りる(払って見る)」か「集中する」だけ。簡単に泣けて便利ですが、「お金を払う感動(誰でもできる)」と「作り出す感動(自分しかできない)」は、根本的に性質が異なります。
面接で「最近感動したことは?」と聞かれることもよくありますが、映画やドラマの名称を答えても、「は?何だって?」と言われて、それで終わりです。
去年も「世界の中心で何とか」という小説か映画を答えている人を見かけましたが、努力が不要な感動を聞いているわけではないのです。
ましてや、内容がどうであれ、部屋で寝ていても得られる感動は、就職試験などでは不適切と言うべき話題です。もちろん、そのような作品にインスピレーションを受け、自分の生活や仕事を変えるため、大きな挑戦と努力を行ったということであれば、話は別ですが…。
「冬のソナタに感動しました!」ではなく、「冬のソナタをきっかけに学んだ韓国語の世界と、一人で行った韓国旅行で得た友達の思いに感動しました」と言う方が適切です。
こういうことは、普通に考えれば中学生でも分かることですが、自分一人ではなかなか気付きにくいので、客観的に区別することが必要です。事の大小が問題なのではなく、あなたが人生の中でどう位置付けているか、が大事です。
数百円で寝ながら得た代理経験ではなく、自分が心から同意して行った行動によって得られた感動こそ、自信を持って語るべき話題です。