■「内定への一言」バックナンバー編
「体験とは、こちらが何もしなくてもあちらから押し寄せてくる現実のことを言う。経験とは、体験への処し方を言う。」(伊藤肇)
その②
こうして「深い睡眠」を複数回に分けると、総睡眠時間が5時間以下でも、頭は快活に働き、体力的にも支障がないそうです。また、彼が「良い眠り」の条件として挙げているのは、これはルネサンスから19世紀まで続くヨーロッパの良い文化だと思いますが、「勤勉」です。
現代日本の若者が睡眠との付き合い方に苦しみ、あるいはサラリーマンが睡眠薬を買うのも、「健全な睡眠を誘う、体力的な疲れ」が不足しているからだという説を、ある雑誌で読んだことがあります。
精神的な疲れは、夜に頭を冴えさせます。こういう習慣がずっと続くと、翌日の仕事や勉強の能率は、慢性的に低下したままになるでしょう。
しかも、集中できないから健全に疲れることもなく、その日の夜も、似たような過ごし方になってしまい、最後は「昼夜逆転」に陥って、地球の裏に住んでいる「ブラジル人」と同じ生活時間で生きるようになる…。「ワールドビジネスサテライト」じゃありませんが、思わず「そちらは今、何時ですか?」と聞いてしまいそうですね。
だったら、運動や仕事に力を入れて、夜にはさっさと眠れるようにした方が賢明です。
ということで、僕も毎日メルマガやレジュメ執筆、仕事の資料、本の要約などをやり、また、日中は福岡市内を歩き回って、心地よい疲れとともに家に帰り、「10時くらいにはさっさと寝てしまおう」と考え、少しずつ練習を始めています。
そして、早朝3時か4時に起き、今日の作業を先取りするようにして、ベローチェが朝7時に空いたら、赤坂に行くわけです。それに、こんな時間に起きれば、以前ではありえなかった「夜9時」くらいで、「眠くなってきた」という自覚が湧いてきます。
天才ダ・ヴィンチは、生活手法の創造までも天才的だなぁ、と改めて感じています。僕も早く、この習慣をわが物とするため、コツコツ継続していきたいところです。
さて、昨日の「マネー塾⑦」では、「体験と経験の違い」について、少しばかりお話しました。「十八史略の人物学」(PHP文庫)という、絶版の名著があります。僕が起業する前の1年で、毎週月曜の朝6時から、大橋のジョイフルで友人と輪読した本です。
この本の著者である伊藤肇さんは、昭和58年に53歳で亡くなられていますが、人生や事業について、実に味のある言葉を残されています。「体験と経験」も、本書からの引用です。
「体験」とは、例えば部活とか受験、病気、アルバイト、レポート、就職活動というふうに、こちらが選ぶこともありますが、人生において、一般的にあちらから訪れる現実を指します。こちらの意図や準備がどうであれ、あちらから訪れ、何がしかの実感を喚起させて、去っていく現実です。
これに対し、「経験」とは、その「体験」に際し、「前よりうまく向き合うぞ」とか、「今度はこうしよう」などと、才覚や知恵を働かせて処遇した現実のことを指します。
だから伊藤さんは、「体験をたくさん重ねても意味がない。学習と改善を重ね、より多くを得ようと挑戦した経験こそ、人生において重ねるべきものだ」と言っているのです。
これは、去年のメルマガでもご紹介した言葉ですが、昨日のマネー塾の冒頭でちょっと紹介したら、思いのほか反応があったので、改めて今回のメルマガで扱うことにしました。
「オレは金では苦労したんだ。金にまつわる体験ならたくさんある。何かあったらオレに聞いてくれ」
「会社での嫌な体験もいっぱいしてきた。会社ってのは、学生の君が考えているように甘い所じゃない。社会を甘く見るなよ」
「面接は30社以上受けた。そこで辛い体験もたくさんあった。就活のことなら、自分にいつでも相談してくれ」
…と、こんな言葉を先輩や社会人から聞けば、自らを「経験・知識が不足した者」と規定している学生さんは、「そっか、じゃあ参考にしよう」とか、「すごい。やっぱり体験者は説得力が違う」と思わされるかもしれません。
しかし、「それは違う」というのが、古典と実業を考えに考え抜き、若くして世を去った伊藤肇さんの意見でした。
「毎回同じことを怖がり、毎回分かっているのに似たような過ちを繰り返し、そうなると分かっていてそうなれば落胆するような人間は、人生から何も学んでいないのだ」と言っているわけです。
考えてみればまさにその通りで、「お金では何度も苦労した」というのは、新たな体験であれば苦労したかもしれませんが、3~5年もたってまだ貧乏だとすれば、何も「経験(学習)」していないことになります。
「面接を受ければ受けるほど会社が嫌になる」と思ったり、「就活が早く終わってほしい」と願うのも同じで、何も「経験」していません。
「レポートやコンパで大変な思いをした」と武勇伝を語る学生に関しては、アホと言うほかありません。交際したメスの数を誇るサルと同じと言ってよいでしょう。
同じ過ちや、同じ苦労を味わうと、疲れは倍加するものです。未来ある若者なら、苦労に直面しても、前回より1%は成長できるはず。逆に言えば、「経験」を重ねて学び、苦しみを楽しみに転化できるまで、人生においては「波」のように、同種の「体験」が、繰り返し訪れるのでしょう。
そして、処し方を身に付けた時に、初めてその人は、昔は自分を苦しめていた「体験」を恐れなくなり、逆に楽しんで歓迎する「達人」の域に達するのだと思います。
本メルマガでよくご紹介する小林秀雄さんも、「人は自分の性格に合った事件にしか出会わない」と言っていますが、それを恐れ、不安視する人にとってだけ、その現実は「人生の事件」になりえます。
そしてこれは、「睡眠」をことのほか気にし、なんとかして寝ずに多くの時間を勉強や読書に充てたいと思い続けてきた僕にとっても、当てはまることでした。
だから、ダ・ヴィンチの「経験」がすごいと感じたわけです。「寝る」なんていう基本中の基本の動作は、誰もが「体験」することですが、彼はそこから「経験」を導き、より良く休み、より良く活動できるよう、生活の中に改革を取り入れ、ついには人生を自分の意志の支配下に置いたんですから。
皆さんが学生生活で、繰り返し「体験」していることは何ですか?それは「経験」になっていますか?就活で語るべきは「体験」だと思っている人は、永遠に落ち続けるでしょう。だって、語れば語るほど、落ちる材料を提供していることになるからです。
語るべきは「経験」です。事に臨み、あなたはどう考え、どう処し、どう達成したか。そこにこそ学生さんが好きな、「個性」という掴みどころのない言葉が、はっきりと姿を表します。