■「内定への一言」バックナンバー編
「人に迷惑をかけてはいけない、という生き方こそ自分に迷惑だ」
世の中には、よく耳にして、さももっともらしく聞こえながら、全く事の本質とかけ離れた言葉が多くありますが、「迷惑をかけてはいけない」もその代表的な言葉です。
「迷惑」とは、常識的に考えて度を過ぎた行為にのみ当てはまるもので、人と関わること自体を「迷惑」と決め付けてしまうのは、どうかと思います。このような消極的動機付けで、果たして前向きに頑張ることができる人間がいるのでしょうか。僕はムリです。
知識や経験等、あらゆる分野で力の優劣が付き物の社会において、人に迷惑をかけるのは当たり前で、むしろ助けられるからこそ頑張るもの。
「迷惑をかけるな」を額面通りに受け取るなら、新入社員など迷惑の塊。親や他人に借金して時間を買っている学生に至っては、その存在自体が迷惑なはず。
しかし、そこまでしても人と人との関わり合いや勉学を優先し、また、親や上司も助けてくれ、自らの蓄えを分けてまでも時間を作ってくれるのはなぜでしょうか。「迷惑」ならやめてしまえばいいのに。
それは当然、「将来きっと役に立つ人間になるから」、「この恩はきっと返すから」、「いつまでもこのままじゃないから」という期待を双方が持っているからです。不足を補うために、上司や親、先輩が力を貸し、後輩や子供は感謝して努力する…。人間なら当然の、美しい姿です。家庭でも学校でも会社でも、一人で何かができる人などいません。
自分が成長したからこそ後進の育成に貢献できるものだし、誰しもそんな過程で成長するのではないでしょうか。そして、成長するためには「プラスの迷惑」が欠かせません。人と深く付き合わず、表面的理解で済ませようとすると、いつまでたっても人が見抜けず、閉鎖的になってしまいます。誰にも返す恩がなく、恩を返す能力も意欲もなく、「してあげたいこと」を持てずに、流行りの「やりたいこと」という言葉で自分の目標を偽って生きるのは、寂しい人生です。
役立ちたい相手、恩返ししたい相手を想定せず、ただ自分の志望動機や欲望のみで行う就職活動や仕事など、最初から失敗しています。
「やりたいこと」などという、業者が作り出した虚構の言葉自体、人間性に照らして間違っているのです。自分一人の世界で、社会と積極的な関わりを想像しない状態で夢を描くのは不可能。就職活動で、そんなまやかしの言葉を使って思考を行ってはいけません。
迷惑をかけない人より、素直に感謝できる人、恩を倍にして返せる人間の方が、ずっと魅力的ですよね。僕も大事な人に迷惑をかけまくった時期があるので、三十代からどんどん返していきます。