■「内定への一言」バックナンバー編
「いざという時に負ける人間は過去を語り、勝つ人間は夢を語る」
毎年この時期になると、日本中の大学三年生が「自分の大学生活で、他人に語るに足ること」を考え始めます。それがあるとか、ないとか、十分だとか、足りないとか、頭の中には不安や迷いもあるでしょう。
僕はFUNで学生さんのお手伝いをする前は、会う人の八○%が社長で、他は「独立したい人」でした。要するに、「誰と会っても夢の話が飛び交う環境」にいたわけです。そんな環境から、縁あって学生サークルのお手伝いを引き受けることになり、最近の学生さんはどんな感じなのだろうとワクワクしながら話を楽しみにしていたら…
「やっぱり、資格って、あった方がいいんですか?」
「留学が二ヶ月じゃ、短すぎますか?」
「ゼミの発表が三回じゃ、少なすぎて言わない方がいいでしょうか?」
「学祭で企画委員をやったんですが、三ヶ月でも頑張ったから話したいです」
…話してくる学生さんは、それこそ不安で焦った表情で、真剣なのは分かったんですが…。「なんだ!この発想は?」とびっくりしてしまいました。だって、考えてもみて下さい。彼ら、彼女らが話そうとしていることは、全て「過去」のことばかりなのです。
期間によらず、自分なりに頑張ったのは分かります。しかし、なぜ頑張ったのか、やってどうなったのか、結局何を目指してそれをしたのか、採用する側はそれを聞きたいのに、誰の頭の中にも、見事に「相手」が存在していなかったのです。
だから、「そういうことじゃないんだけどね」と言うと…
「え?じゃあ、やっぱり最低一年は留学しないといけないんでしょうか?」
「やっぱりTOEICが六○○点じゃ低いですか?」
…やっぱり、何も分かっていませんでした。そういうことでもないんです。
というわけで、当初はこういう意味不明のことを必死にしゃべっていた学生さんたちも、就活コースで話したような内容を教え、無事全員が志望業界に内定を決めたわけですが、僕はあれ以来、学生心理に巣食う「取得原価主義」発想の恐ろしさを知りました。
読者の皆様の中で、商学部や経営学部の方はどれくらいいらっしゃいますか?商学部の方やFUNの皆さんなら、固定資産や流動資産、固定負債や流動負債、資本金、節税、手形、手形割引、棚卸資産、当座資産などの用語は一年生でも分かると思いますが、まだ会計になじみのない方のために、今日は簡単に二つの会計手法を説明することで、就活で役立つ一つの視点を手に入れましょう。
簿記の基本が「借方(資産勘定)」と「貸方(負債勘定)」で成り立っていることは、それこそ商業高校の一年生でも知っているくらい基本的な「社会の常識」ですが、会社に出入りする全てのお金の流れを区分し、その帳尻を合わせる作業を「会計」と呼びますよね。その会計の仕方は、実は二種類あります。一つは「取得原価会計」で、もう一つは「時価会計(減損会計)」です。それぞれどういうものかを簡単に説明すると…。
取得原価会計とは、「ビルや設備、土地、機械などを、購入時の価格で帳簿に記録する会計手法」です。反対に時価会計とは、「取得時の価格によらず、その資産が現在持つ価値(時価)に応じて価格を計算する会計手法」です。
バブル前までは、日本企業の多くが取得原価会計を採用し、「今は五億円」の土地を、「いいや、あの土地は十億で買ったから十億だ!」と、自社の時価総額をふくらませて公表していました。取得原価のまま資産欄に記入し、その総額が「二十億円」だったとします。
ならば、銀行や取引先など外部の人は、「じゃあ、あの会社には二十億までなら貸せる」と考えかねません。それが、実際は「十億円相当の資産」しか持っていなかったらどうでしょうか?当然、「見込み違い」が不良債権や貸倒れを招きますよね。
資産評価の手法や金額が食い違ったまま、「株も土地も上がる!」とマスコミが煽りまくったのがバブルですから、一旦株価や地価が下げに転じれば、その末路は哀れです。この反省から、今では上場企業だけでなく、大抵の企業が「時価会計」を採用しています。
時価会計とは、減損会計とも呼ばれるように、「買った時は十億の土地でも、今は七億円分しか価値がないなら、七億として記載しよう」と、減価分の三億円を差し引いて記載する方法です。損を予め減らし、可能な限り正確な会社の「現時点の価値(時価)」を投資家や取引先に公開するわけですね。
経営者にとっては、今まで取得原価主義だったものを時価主義にするのは、辛い作業だったかもしれません。「輸血と厚化粧で醜く肥え太った会社は、実はガリガリの栄養不足だった」という事例もたくさんあったからです。
しかし、多くの苦労を経て時価会計が定着し、連結決算とうまく連携して、今の会計システムができあがりました。数年前、経営者が一番読んでいる「日経ビジネス」も「減損会計の衝撃」という特集を組んだくらいですから、よっぽどのパラダイム・シフトだったのでしょう。
これが、「取得原価会計」と「時価会計」の違いです。僕が、この二つの差が学生の発想にも現れていると感じたのは、就活を控えた学生の発言を聞いた時でした。例えば、学生のものでなくても、こんな言葉はどうでしょう?
「このコートね、昔十五万円で買ったの」というおばちゃん。
「大学では遊んだけど、私は○○高校出身なの」という女子大生。
「高校の時は偏差値七十だったけどね」というサラリーマン。
「ベストの時はウエスト五十六センチだったの」というOL。
「バブル期は財布に二○○万円入ってたね」という社長。
いずれも「今」を直視せず、自分が一番心地良い「ある過去の一定の状態」に浸り、その中から抜けようとしません。「今じゃなくて、輝いていた自分を知れば、おまえもきっと自分のことを軽視しないはずだ」、「本当の自分は今の自分じゃない、ちょっと待ってくれ」と言わんばかりの怯えが感じられる発言です。幸せなのは、そう言って慰められる本人と、それを聞いて「すご~い」と言う優しい仲間だけ。
しかしまぁ、本人は過去の栄光を語って悦に入っているかもしれませんが、それを聞く人が時価会計主義の考え方を持っている人なら、「だから何?」の一言で終わります。僕も学生の言葉を初めて聞いた時は、「それがどうした?」としか思えませんでした。センター試験でどうだったとか、本当は浪人するはずじゃなかったとか、浪人中に家庭の都合がなければ、本当は第一志望に行けていたとか、留学のチャンスを手に入れておけば、本当は外国で勉強していたとか…。
誰も、その学生がどの学校を志望していたとか、昔の偏差値がどうだったとか、どの国で何を学びたかったかなど、興味はありません。言うほど見苦しいだけの話です。そんな、本人の心の中で都合良く語れる、どうせやらなかったことなど聞きたくありません。「だからおまえはどうした?それをどう受け止めて、どう頑張って、今どうなのか?」を聞きたいわけです。
皆さんも、「東大を目指していたフリーター」と結婚したいですか?
「月収一○○万円の頃もあったパチンコマン」と付き合いたいですか?
「昔は五○○万の新車に乗っていたサラリーマン」にプロポーズされたいですか?
「ベストの時はモデル並みのスタイルだった」という不健康女と暮らしたいですか?
全部、「絶対イヤ!」でしょう。それは、その発想が「取得原価会計」だからイヤなのです。聞いてみればイヤだと分かることを、あえて就活で実行し、高い交通費を払って自分から落ちに行くことはありません。
周りの学生は根拠も分からず、雰囲気で焦っています。資格、経歴、経験、受賞歴…そんなものをかき集めながら、「自分は決して、この大学時代にサボっていたわけではございません、人事担当者様」と証明するのが就活だと思っています。
いわば、もう落ちているわけで、就活をしてもしなくても一緒です。そういう学生は、就活のことをペラペラよくしゃべります。しかし、しゃべっているからといって、別に進んでいるわけでもないのです。
周りが「過去」を語るなら、皆さんは「未来」を語りましょう。受かりまくった学生は皆、一人の例外もなく、「自分の言葉で堂々と未来を語った」という点が共通しています。
「未来のイメージ」はできていますか?
「そんなの、受かってから考える」?