■「内定への一言」バックナンバー編
「受け取り方が人を豊かにするのではない。与え方がそうするのだ」
今の学生さんは、僕たちの頃(10年前)と比べて、ずいぶん堂々と「お金持ちになりたい」と口にするなぁ、と学生さんと触れ合うたびに感じます。
しかし、「株式投資や事業経営を学べば良い」と短絡的に考えて、精神力の向上をやや軽視しているようにも思います。「お金持ちになりたい」と言う学生を見ていて、そうなれる素質を感じるのは、2割くらいです。
そもそも、「もらい方」、「受け取り方」、「稼ぎ方」を考えている時点で、既にアウトです。実際のところ、本当に豊かな人ほど「与え方」を訓練するものです。与えるものがない人は、どこに就職しようと、どんな仕事をしようと、豊かにはなれません。
さらに、与え方を知らない人は、平均にもなれません。貴重な知識、経験、考え方、情報、モノ、お金を惜しみなく分かち与える人に、人は集まり、お金を払います。
あなたは、人に与えられるものをどれほど持っているでしょうか?あるいは、どれくらい持てそうでしょうか?与えることの大切さを象徴する、分かりやすい昔話がわが国にはあります。誰でも知っている「わらしべ長者」で、これも前回紹介した「桃太郎」と同じで人生や仕事の本質を突いています。その概要を振り返ると…
昔、貧しい男がいました。男は「将来は豊かで楽が暮らしがしたい」と、観音様にお願いしていました。
ある日、観音様は「この寺を出て、一番初めに触ったものを大事に持って、旅に出なさい。そうすれば、楽になる」と言いました。
男は、このことばを聞き、喜んで寺を出ようとしたところ、石につまずいて転びました。
1本のわらしべが手に触れました。「一番初めに触ったものがわらしべか」と思いましたが、観音様に言われたことは守らなければなりません。男はわらしべを持って旅に出ました。
しばらく行くと、顔のまわりをアブが飛びまわり、うるさくて仕方がありません。つかまえて、わらの先に縛り、歩きました。
しばらく歩くと、立派な行列がやってきました。
かごの中から、子どもの泣き声が聞こえてきました。なかなか泣きやみません。その子どもが男を見ました。わらの先にアブが付いているのを見て、おもちゃだと思い、子どもは「あれが欲しい」といいました。
母親はかごを止めて、男に「そのアブを下さい」と言いました。
男は「これは観音様からいただいたものだから、あげるわけにはいかない」と言いました。すると、母親は「みかんと換えましょう」といいました。男はしかたなしに交換しました。子どもは、アブをもらうと泣きやみました。
夏の暑い日でした。男は、のどが乾いてきたのでみかんを食べようとしました。ふと見ると、木の下に青い顔をして、座りこんでいる人がいました。
その人が「のどが乾いて歩けない、みかんをくれないか」と言いました。
男は「これは観音様からいただいたものだから、あげるわけにはいかない」といいました。
その人は、包みを広げて「私は呉服屋です。この布とみかんを取り換えて下さい」といったので、男は交換しました。
男は、気が付きました。観音様のおっしゃった通り、わらがみかんに、みかんが立派な布になりました。ありがたく思い、旅を続けました。
またしばらく行くと、道に馬が倒れていました。馬は死にそうでした。そばに、侍が立っていたので、どうしたのか聞きました。
侍は「急ぐ旅をしている。あまりに急がせたので馬が倒れた。かわいそうだが捨てていかなければならない」と言いました。そこで、男は「その馬を、この布でゆずってください」といいました。侍は「それは助かった」といい、布を受け取ると走っていってしまいました。
男は、川から水をくんできて、馬に飲ませました。馬は、すぐに元気になりました。1本のわらしべがこんな立派な馬になったと、ありがたく思いながら、馬に乗って旅を続けました。
夜になりました。どこかに泊まらなくてはなりません。見ると、大きな屋敷がありました。男は、屋敷の門を入り、声をかけました。すると、中から主人が出てきました。男は「旅をしていて、夜になって困っている。今夜一晩泊めて下さい」と言いました。
主人は、明日旅に出ようと思っていました。とても喜び「よかったら、留守番をしてくれないか」と言いました。
男は、留守番を引き受け、馬をつないで座敷にあがりました。今までに見たことのないような、立派な屋敷でした。
主人は旅の支度をして、「もし私が帰ってこなかったら、この屋敷はあなたのものだ」といい、そして「引いてきた馬を貸してくれないか」と頼みました。男は「いいですよ」といいました。 次の日、主人は馬に乗って旅に出ていきました。
そして、何年待っても、帰ってきませんでした。男は屋敷もたんぼも、みんな手に入れ、豊かに暮らしました。
…という、誰もが子供の頃におばあちゃんに聞かせてもらった物語ですよね。
この昔話から、何が分かるでしょうか。全編に共通しているのは、「自分が持っている物は、自分ではあまり価値がないと思っていても、相手から価値があることもある」という教訓です。また、それを与えて効果を発揮するには、惜しみなく与えてしまうことと、何よりタイミングが必要だ、という教えも含まれています。
「わらがみかんに、みかんが布に、布が馬に、馬が家になったなんて馬鹿馬鹿しい、それは昔話だからだ」と思った人は、自分の中に潜む「わらしべ」の存在に気付かず、もらうことばかり考えていませんか?
新卒採用(学生語で言う就職活動)も、わらしべ長者に学んで、惜しみなく与えることが大事です。もらうことばかり考えると、人生は疲れます。疲れとは、「期待と現実のギャップ」が生み出すもので、そもそも、現実が悪いのではなく、期待が無意味に高いだけ、なのが大半だからです。
人はよく「現実に疲れた」とか言いますが、実際は「期待しすぎて、勝手な独りよがりの一人相撲に疲れた」と翻訳した方がよいでしょう。就活で何社も落ち続け、落ち続けても成長がない人は、「この会社はどういう情報や待遇をくれるんだ?自分の人生に何を与えてくれるんだ?」とばかり考えています。
何社も受かり、内定辞退に困る人は、「この会社に、自分の持っているものをどれくらい与えられるだろうか?自分はその能力や知識を、どういう仕事やタイミングで生かすべきだろうか?」と考えます。つたなくても、ありふれていても、与え方とタイミングを知れば、学生が「別に自分には、これと言って何もないし…」と諦めがちの「フツーの能力」も、大きな威力を発揮するものです。
ということで、普通の能力、平凡な経験で結構。賢者は与え方とタイミングで周囲に差を付けます。それが本当だということは、「FUN面接塾」に参加すれば、思う存分味わえるでしょう。
学生の価値観だけでは真価を見抜きにくい、あなたの中の「わらしべ」も、見方を変えて実社会の何らかの場面に当てはめてみれば、別の価値を発揮するでしょう。わらしべを心から大切にし、必要とする人に分け与えましょう。