■「内定への一言」バックナンバー編
「心に甘えがある人ほど、やり方が問題だと思いたがる」
自分を否定するのは勇気がいることで、人は誰しも「自分なり」というスタイルを持っており、逆境に際して、過去に閉じこもり、自分を正当化することがあります。「うまくいかないのは、学校のせい」から始まり、環境、友達、親、教育、育ち、授業、住んでいる場所…と、言い訳のターゲットは数知れません。
そして、言い訳とは気持ちがいいものです。「自分はできることはやっている。それでも結果が出ないのは、環境のせいだ」と正義感に浸ることもできます。しかし、そう言っている間は、停滞どころか退歩しているものです。
僕が大学を中退し、マレーシア勤務から帰国した頃、同期生は就職活動をしていました。当時は山一證券が破綻し、潰れないと言われていた都銀の北海道拓殖銀行が倒産し、三洋証券が倒産し、今よりもずっと就職情勢は厳しい状態でしたが、決まる人は楽々と決まっていたものです。
そんな中、二~三社受けただけで諦め、公務員試験や教員採用試験の道を選んだ人も多数いました。彼らは学校で勉強して結果が出なければ、「学校じゃだめだ」と言って大学主催の講座を受け、それで落ちれば「大学の講座じゃだめだ」と教材を買い込み、それで落ちて「自宅学習じゃだめだ」と専門学校に通い、卒業しても多額のお金を両親にせがみ、「バイトをしながらじゃダメだ」と生活費まで負担させながら、二十七歳の受験資格喪失までの5年間、ひたすら勉強し続け、今は…。
運送会社のドライバーや、「家事手伝い」と称した無職生活をしています。もしこのような若者に合格点が取れても、誰も採用したくないでしょう。勉学の質以上に、生きる態度が腐っています。
「今いる場所で頑張れない者は、場所を変えてもダメ」と言われるように、難関の外交官試験や国家公務員試験に合格した友達は、一年生の頃から勉強していたり、社会で実際に働きながら、限られた時間に集中した友達でした。
実績は試験よりもずっとずっと思い説得力を持っているもの。「○○大卒」や「○○点」よりも響き、誰も真似できない履歴書と自己PRを携えて臨んだ人は、今も使命感を持って頑張っています。
二次や最終面接を受けた人から、FUNの模擬面接と同じ質問を受けたと聞きますが、僕は別に予想屋ではありません。二十代で会った人の八○%が社長なので、「自分がそこの社長ならこれを聞く」と勘で質問しています。
観察するのは熱意と人格で、「勝ち癖」を感覚に刻んでもらうことを心掛けています。理由は、この手応えがなければ何度練習しても無駄だから。ダイエットでも受験でも、本気でない人ほど簡単に手段を変えたがりますが、やせるのは財布だけ。変えるべきは考え方ですね。