■「内定への一言」バックナンバー編
「飛耳長目」(管子)
最近は大濠公園・西公園を走った後、腕立てと腹筋をするのが、週に4日はできるようになりましたが、翌日に疲れが残るせいか、夜は帰るなりすぐに寝てしまいます。今日もまた仮眠を取った後、こうしてメルマガを執筆しています。就活アンケートについてですが、お昼に案内したら、なんとまた4年生の方2人から、新しい回答が送られてきました。この後、それまで収録して配信しますね。
今日はお昼から、筑女のIさんと就職の相談をしました。編集や出版に興味があるということで、広告や事業の作り方など、幅広い話題でお話したのですが、強い好奇心と素直さに終始感心しきりの時間でした。最後にIさんはカバンを空け、「もしかして、御礼のトマトジュースをいただくのかな…?」と思ったら、「買ったけど、自分で飲んでしまいました」と、FUN3年の歴史で初めてのハプニングが。
Iさん、いいんですよ。僕も福岡の友達のために羽田空港で買った「東京ばな菜」を、飛行機の中で全部食べてしまったことがありますから…。そして、代わりに福岡空港で「博多の女」か何かを買いました。
さて、今日の話題は「人脈の作り方」です。僕は「薩長史観」に固まった維新史はあまり好きじゃなくて、「志士」という呼び方は気に入りません。立派な方もおられたでしょうが、大半は今で言うゴロツキかフリーター。目立たない藩にこそ、優れた人材はよっぽどたくさんいたと考えています。
しかし、その中でも吉田松陰は、与えた影響や著作の意義から考えて、やはり別格です。松陰は26歳で幕府に捕らえられ、満30歳の時に刑死しました。少年時代から修行と学問の日々を送っていますから、満足に活動できた時期は、現在の大学生の自由時間より少なかったでしょう。
そんな松陰が、インターネットを駆使し、携帯電話を自由自在に操る現代の青年でもできないような情報収集と人材育成を、どうしてできたのか?あの短期間に、しかも獄中で膨大な情報を集め、的確な判断を下し、次の行動のための指示を出し、薫陶を受けた若者たちは、いずれも国家のリーダーになっていった…まさに日本史の奇跡とも言える出来事です。
その秘訣こそ、松陰が松下村塾でモットーの一つにしていた「飛耳長目(ひじちょうもく)」です。これは、今から2,700年前、中国の春秋戦国時代に、管子が「君主は幅広く物事を見通す洞察力と、些細な知らせからでも本質を悟る理解力を持つのが大切だ」という意味を込めて、「飛耳長目」と呼んだことに由来しているそうです。
松陰は漢籍(中国古典)については、当時有数の研究者ですから、この言葉をうまくアレンジして、弟子たちの育成に活用したわけです。
頭の回転は抜群で、好奇心なら誰にも負けず、負けん気の強い伊藤俊輔(博文)には、政治関係の話題で接し、本人の中に本質的な問いや関心を生じさせました。
スケールの大きい発想が得意で、異国の経済や文化に興味を持つ高杉晋作には、中国の歴史や古典を教え、当時の清国の行く末を考えさせ、上海に旅行させました。
その他、多くの弟子たちの長所を見抜いて役割を作り、定期的に手紙を送るようにお願いして、松陰は萩の獄中で世界の情勢を分析し、また新たな課題を発見して、それを手紙に込め、弟子たちに託した…というサイクルを、繰り返していったのです。
まさに、師を思う弟子たちが松陰の「耳」や「目」となって、松陰の変わりに全国に飛び散り、得意分野を生かした情報収集活動に励んだわけです。松陰は教育者であると同時に、地方のシンクタンクの所長で、情報コンサルティング会社の社長のような役割も果たしていたというわけですね。
一人でできることは、どの分野であれ、高が知れています。ましてや、江戸時代のように運送・通信の手段がアナログの時代であれば、全ての移動・通信は徒歩か馬、直談判か手紙です。
しかも、松陰は下田踏海に失敗して獄中の人となり、その行動範囲は物理的にも、大幅に制限されていました。そこで諦めないのが、松陰の偉大なところでした。すぐさま弟子たちにお願いし、獄中にありながら、自由人でも不可能なスケールの情報収集・分析・再発信を一連のシステムとして行い、最後はあんな優れた結果を出したんですから。
僕たちも先人の知恵に学び、情報ツールに頼るよりは、真剣な問いやアクティブな人脈こそ、まず持ちたいものですね。
この「飛耳長目」の話は僕のお気に入りで、FUNが発足した当時から、よく学生さんに話してきました。僕はこの10年で、経営者や同世代の中には「耳」と「目」を作ったので、自分より若い世代の間で「飛耳長目」を行いたいと考えました。そのシステムが、僕にとってはFUNというわけです。
「土曜の朝」に、単位にもならないようなサークル活動に進んで参加するような熱心な学生は、社会人になっても、絶対に成長します。「仕事だから」と言って、後ろ向きの理由で働く社会人と過ごすのは時間の無駄です。付き合いや宴会ほど無意味な時間もありません。
でも、未来のために貴重な時間を投資し、遊びや消費の誘惑を抑えて学ぶ学生と過ごすのは、報酬を度外視して引き受けていい「先物取引」です。
なぜなら、それは「飛耳長目」だから。学生時代に歴史や古典、経済、経営、スピーチ、会計、マネー、語学、パソコンを学んだ部員たちは、5年くらいすれば…「小島さん、いい会社がありました!」、「有望な商品を見つけました」、「面白い社長さんに会いました」と、自動的に人脈や情報を提供してくれる、九州最大の「成長株ネットワーク」に成長するでしょう。
そして、そのネットワークは5年もすれば自己増殖・拡大生産状態に入り、放置しておくだけで莫大な情報とアイデアをもたらしてくれる「マイ・シンクタンク」となるのです。世代の時差がもたらすチャンスは、測り知れません。
そのため、今は大学という「獄中」にいる学生のために、僕は代わりに知識や考え方を仕入れ、サークルに輸出しているわけです。僕の役割は、さしずめ「個人商社」です。また、「企業取材」という集合的・継続的な「飛耳長目」の手段も確立させ、広い世界を学生たちが自分の目で味わうチャンスを、安田君と作り上げました。
「君たちから大金は取らない。持っている知識や考え方は、いくらでも好きなだけ提供する。その代わり、社会人になったら大きく成長してくれ」という条件で、今まで顧問を引き受けてきました。
見方を変えれば、卒業と同時に「福岡」という獄中にいる僕のために、全国各地に飛び散った人脈が、次は僕に人脈と情報をもたらしてくれる、とも言えます。獄中というと言い方は悪いですが、とにかく「狭くて情報が偏っていて、意見が均質化されている」というのは、牢獄と同じ条件を満たした空間です。もっとも、僕は牢獄に入った経験はありませんが…。
その成果は…他の人が負担してくれた人脈を、単純に「自分がやったら何分かかるか」という時間に換算してみると分かります。30歳にして、年上・同世代・年下にバランス良いネットワークを張り巡らせた成果は絶大です。僕の1日は、今では「24時間」ではなく、「500時間」くらいです。
つまり、1日の長さが「20.8日」と約20倍で、3週間に相当するわけです。毎朝、毎晩、マスコミより早い情報がもたらされ、商品が売れ、名著の情報が入り、僕ははっきり言って「別のこと」をやっているだけですが、時間と収入は倍々ゲームで増えていきます。
恐るべし、「飛耳長目」。
この「飛耳長目」は、実は今週から開講する『FUN営業塾』の第④回で、詳しく扱うテーマです。自分の時間だけで勝負し、精神論やセールストークに頼る営業マンは、人脈創造技術を知っている営業マンには、絶対に勝てません。参加された皆さんには、人脈と情報網を相乗的に増やし、時給を「隣の友達」の20~40倍にする考え方と、具体的な実践方法を教えますから、楽しみにしておいて下さいね。
世の中の営業マンの9割は…「収益ゼロの時間を過ごす」、「今ある商品が売れていないのに新商品を考える」、「フォローを忘れて反感をばらまく」、「誠意を忘れてトークに走る」というように、日々、成績と収入を下げるための努力に力を注いでいます。成功しようと思ったら、いいやり方を学ぶ前に、まず悪いやり方を駆逐することです。学生時代から始まる「飛耳長目」の威力を、どうぞお楽しみに。