■「内定への一言」バックナンバー編
「少にして学べば、即ち壮にして為すところあり。
壮にして学べば、即ち老いて衰えず。
老いて学べば、即ち死して朽ちず」(佐藤一斎)
僕が大学を中退する一番のきっかけ(というか追い風)になったのは、『雄気堂々』(城山三郎・新潮文庫)を読んだことでした。渋沢栄一の人生を描いた同書に大きく触発され、「オレも歴史に残る大事業をやってやる!」と思い、以来、渋沢栄一に関する本は、見つけるたびに読んできました。
渋沢栄一は、一橋大学や二松学舎大学の創設に関わったことでも有名ですが、二松学舎大の初代学長・三島中洲は、同大学の理事長に就任した栄一の「論語」の先生です。
栄一の類希な経営センスと道徳観は、後の日本人実業家に大きな影響を与えたものなので、その根幹を成す、あまりにも有名な「論語と算盤」の哲学(経済的に正しいことは、道徳的にも正しくなければならない)を教えた師匠・三島中洲にも興味が及び、「どんな人物なのだろう」と書店を歩き回っていた二十四歳の時、栄一の自著『論語と算盤』(国書刊行会)を見つけ、即、購入しました。
その本の巻頭に、三島中洲の先生は、『言志四録』で近現代の指導者に大きな気付きをもたらした学者・佐藤一斎だと知りました。(その翌年、小泉内閣が成立し、小泉首相が佐藤一斎の愛読者であったことも知りました)。今日の一言は、人が学問や事業に向かう姿勢を示したものとして、誰もがよく聞いたことがあるものでしょう。
「若い頃に勉強した者は、壮年を迎えて、なすべき大事業を持っている。壮年期に勉学に励んだ者は、老いても衰えることはない。老いてなお学ぶ者は、死んでも朽ちることはない」
いい言葉です。そして同時に、厳しい戒めでもあります。なぜなら、「若い頃に手を抜いた人間は、人生においてやるべきことはない」と言っているのと同じだから。学ばなければ、チャンスに気付くこともできません。チャンスに気付いても、モノにすることができません。モノにできても、維持・発展させることができません。日々、勉強あるのみ!ですね。