■「内定への一言」バックナンバー編


「人は受けた恩はすぐに忘れるが、

与えた恩はなかなか忘れないものだ」(渋沢栄一)




今日は第2回の「読者の集い」が行われました。就活真っ只中の時期のためか、少人数で喫茶店で集まったのですが、始まるとすぐに小さなグループができ、皆、それぞれの大学生活や就職活動について、時間を忘れて語り合っていました。ちなみに、昨日のメルマガで案内した「人を動かす」は、たった3時間で8人から予約が入り、今日だけで5冊が売れてしまったそうです。




今日は、僕は九産大のI君と、久留米大のMさんと「お金との付き合い方」についてお話しました。春から「FUNマネー塾を開講するとは、少数の人にはお伝えしているんですが、どこで口コミが生まれたのか、申込が続々来ています。2人と収入や貯蓄について話しながら、僕の経済観念に最も深い影響があったのは何か、色々と振り返りました。




「金持ち父さん」違います。あの本の内容は、僕が小学生の頃から、何度も母親に言われたことと全く同じです。


「ユダヤの商法」これも、子供の頃に母が読んでいて、子供部屋にも置いてありました。




じゃあ、何なのか?やっぱり、これしかありません。日本の資本主義を築いた大実業家・渋沢栄一の著書『論語と算盤』(国書刊行会・絶版)です。渋沢栄一は、本書の中で「歴史と古典」ばかり語っています。人心の妙味を語り、人間として、青年として守るべき規範を諄々と説いた本書は、経済書であると同時に、人生論としても優れた一冊で、創業の苦難を味わう中、寒いオフィスで何度も何度も、読み返しました。



その中に、「立志と学問」と題する章があり、目立たないところに、渋沢の述懐があります。「人は受けた恩はすぐに忘れるが、与えた恩はなかなか忘れないものだ」と。僕は26歳の頃、駆け出し社長として痛恨の失敗を味わい、この言葉に叩きのめされるような思いがしました。「オレのことだ」と




以来、受けた恩はいつまでも覚えておき、与えた恩は即刻忘れるように努めました。すると、誰に対しても、自然と頭が下がるようになりました。FUNの皆さんや、就活コースに来られた方なら、僕が11歳も離れた大学1年生に対しても「敬語で話す」のを知っていると思いますが、5年ほど前の僕では、考えられないことです。それまでの僕は、「なんで自分って、こんなに有能なんだ。なぜ、何をやっても全てがうまくいってしまうのか」と悩んでいました。誰に会っても自信過剰で、年下の友達など作る必要すら感じたことなく、10歳年上くらいで、やっと話が釣り合うような感覚を覚えていました。




しかし、それは単に調子に乗っていただけ。今も思い出しては、屈辱と後悔が消えない創業時の失敗は、「全部オレがやったことだ」と慢心した時から、始まっていました。でも、反省したらそれでいいと思うのも、慢心です。僕はその反省を形にし、習慣にするような修行が必要だと感じました。ちょうどその頃、安田君(創設者)から「学生サークル(今のFUN)を作る」という話を受けたので、顧問をお引き受けすることにしました。




最初は、部員ゼロ。いつも自分のことしか考えていない若者が、単位にも資格にもならないのに来るかどうかは、自分の姿にかかっています。そういう、見返りのない立場で社会貢献を続けるような時間が、一日のうちに数分は必要だと思いました。




さて、顧問を引き受けてみて。どんなに徹夜でエントリーシートを添削しても、学生はメールで「ありがとうございます」としか言いません。ドタキャンなど、日常茶飯事。世代の差を埋めようと、何度も何度も推敲して講義のレジュメを作っても、最初は「興味がある」と言っておきながら、簡単に欠席します。「レポートが忙しい」の一言で。




最初は、女であろうが、張り倒してやろうかと思うほど腹が立ちました。僕は絶対に、「仕事やプライベート」を言い訳にしないと決めています。そんなのは、社会人として当たり前のことだからです。仕事なんて、歯磨きや朝ごはんと同じ。学生の勉強も、やってすごいなんてことはありません。レポートなんて、便所と一緒でしょう。やらないのが親不孝なだけで、やるのが当たり前。だから、当たり前のことをキャンセルの理由にするような低レベルな付き合いなど、したくなかったのです。




しかし、全ては不徳の致すところ


「頑張る」と言っていた学生の、幽霊部員化。

「春からは新しい自分」と言っていた学生の、長期欠席。

「就活が終わったら、後輩を応援します」と言っていた学生の、食い逃げ退部。




反抗した人間は、その意欲が完全に尽きるまで徹底的に叩き潰していた以前の僕なら、「貴様ら、親に食わせてもらっておきながら、よくもそんな腐った生活が送れるもんだな。おまえら無能な大卒は、一生、借金返済人生でも送っときゃいいんだよ!」と突き放して、さっさと役目を返上していたことでしょう。



しかし。僕はそういう攻撃的な性格で、以前、痛恨の失敗を味わったのです。相手が年下であれ、未経験の学生であれ、ぐっっっとこらえて我が身を反省すれば、やっぱり、僕に不足がありました。




「あいつらあそこまでしてやったのに」と言いたい気持ちを抑え、講義中に準備の苦労を語りたい誘惑を抑え、「与えた恩は忘れろ。おまえはどれだけ学生に助けられたのか。恩を忘れてはならぬ。叱りたい相手にこそ、ありがとうと感謝しろ」という、心の中の渋沢栄一の言葉を守り、平常心を保ち続けてきました。




まさに、その通りでした。僕は「学生」という、それまでは「マレー人より異文化な人種」と思っていた人たちと交流するようになって、失ったものは睡眠時間と月数万円だけで、得たものの方が圧倒的に多いことに気付きました。不思議なもので、心の中で「ありがとう、ありがとう」と唱えると、自然とそういう気持ちになって、その学生の笑顔が浮かんできます。




ちなみに、「ありがとう、ありがとう」と繰り返して気持ちを抑える方法は、FUNを作った安田君から学んだ心的態度です。FUNの顧問を引き受けて、最初は2週間に1回の関係だったのが、3年たった今では、週に4回も学生さんと会うようになり、僕の世界は飛躍的に広がりました。




苦しい時ほど、「ありがとう、学生さん」

日付を間違えるくらい忙しい時ほど、「ありがとう、学生さん」

と思ってみると、今日も笑顔で眠れそうです。




就活でも、色々な人に出会い、中には、自分が望むのとは違う反応を返してくる人もいるでしょう。そういう人にこそ、「新たなチャンスを創造して下さり、ありがとうございます」とつぶやいてみては、どうでしょうか。父が大好きだったゲーテの本の中に、「人は誰しも、他人を許す時が一番成長する」「いきいきと生きよ」手塚富雄・講談社現代新書)という言葉があります。30歳になった今、渋沢栄一の言葉と、ゲーテの言葉がつながったような気がしています。許すとは、「自分の与えた恩を忘れ、相手から受けた恩に感謝する」という動作ではないか、と思っています。自己分析をするよりも、受けた恩を思い出し、数えてみてはいかがでしょう。きっと、抑えたくても抑えられない情熱が、心の深い部分から溢れてきますよ。