■「内定への一言」バックナンバー編
「味覚が異常になると味が崩れ、味が異常になると食事も崩れ、
食事が異常になると、栄養も崩れる」
もう何年前のことでしょうか。僕が記者だった頃、ある人材派遣会社の社長さんから「勉強になる講演会があるよ」と誘われ、久留米大学医学部の先生のお話を聞きに行ったことがあります。
会場に着くと、講演のテーマは「味覚障害」でした。家庭に「風邪を引いたら病院に行く&薬を飲む」という文化がなく、薬局にすら行くことがない僕は、当時も医療にはあまり興味がなく、「え、病気の話?…まぁ、あんまり興味がないけど、社長の誘いだから聞くだけ聞いていくか」と、会場に入りました。
して、その講演の内容は…。怖い内容でした。そして、「聞けて本当によかった」と思いました。先進国の死亡原因のトップを占める病気のほとんどは、経口毒、経皮毒によるもので、中でも中高年の健康と家計を直撃する「糖尿病」に至っては、ほとんどが「食事」が原因…ということくらいは、健康体の僕も知っていました。糖尿病から発生する失明、緑内障、細胞壊死の恐ろしさも、医療コンサルタント会社の取材で聞いたことがありました。
しかし、それ以上に恐ろしかったのは、「味覚は一度壊れたら治らない。そして、本来歯止めが利くはずの糖分や塩分の過剰な摂取に自覚症状がなくなり、人間は自分で自分を死に追いやっていく」という指摘でした。
現代人の食事は、とにかく便利です。どこで何を食べても、最適な価格、最適な温度、適度に味付けされた状態で、食事が提供されます。しかし、僻地や田舎、大都会でも同じような食事が滞りなく提供される、ということは、本来ものすごい犠牲(栄養や人体の)を払わないとできない、とのことでした。
物流効率や冷凍保存技術が高まり、ほとんどの食品には保存剤、防腐剤、色素、香料、化学調味料が添加されており、消費者は便利さと味の代償に、そのような不要な食品まで胃に入れる結果となった…。化学調味料や偏食は、多くの人たちの「味らい」(舌にある、味覚を識別する突起)を傷めて味の判別を不可能にし、ゆっくりと、しかし確実に、肥満や高血圧、糖尿病の巣を体内に作っていく…というプロセス。
・外食に行くと、いつも同じものを食べる。
・自炊の際、調味料の配分が明らかにおかしい(偏っている)。
・普通じゃ組み合わせないような組み合わせで食事をする。
ということが、現代の技術と物流をもってしては、簡単に実現できてしまうのです。そして、若いうちから「自覚が難しく、相手が味なのでついつい甘えてしまう」というスパイラルに陥り、抵抗力が弱くなった中年の時点で、それは病気に転化してしまうそうです。
「味覚がおかしい」という、ただそれだけのこと(と思っていた)が、人体を蝕み、不治の病を呼び寄せる原因になるとは、なんと恐ろしいことか…と、医療の素人だっただけに、内容に驚きました。
また、後日僕の高校の後輩(現在、福岡県警に勤務)から聞いたところによると、最近は以前にもまして殺伐とした事件が多いが、山林などに遺棄された遺体を識別する際、20~30年前と比べて「明らかに違う点」が、警察内で戦慄をもって語られているそうです。それは、「大量消費時代に成人となった世代の遺体は、食事を通じて防腐剤を過剰に摂取しているため、本来なら白骨化したり、土壌の一部となっておかしくないような日時が経過しても、腐敗しない」ということでした。
警察の年齢鑑定や本人特定は、このおかげで、格段に早くなったそうです。それは一応、「捜査技術の進歩」ということにされているそうですが、実は「食品添加物があまりに多すぎる」ことが、大きな原因だとのこと。特に、偏食や外食の傾向が強く、男性に比べて、シャンプーや化粧を通じて石油化学成分を大量に摂取している若い女性の遺体は、ほぼ間違いなく年齢や慎重を識別できる、ということでした。
赤ちゃんも今では「白ちゃん」と呼ばれたりして、生まれた時から元気がなく、これは、自然の健康食品を扱う会社や、善良な化粧品メーカーに頑張ってもらわないといけませんね。
…ぞっとする話です。なんで、こんなことを「内定への一言」というタイトルのメルマガで扱うんだ!と思ったかもしれません。それは、話を聞いて、こう思ったからです。
「大半の若者は、食事に対してそうであるように、人生の主食である仕事や社会に対しても、味覚障害ではないのだろうか?」
味覚障害では、「辛い=甘い」になったり、「甘い=普通」になったり、「酸っぱい=苦い」になったりするそうです。
では、仕事について「楽しい=辛い」、「尊い=きれいごと」、「素晴らしい=面倒くさい」、「やりがいがある=生活のための必要悪」となることも、全く同じではないでしょうか。
もし「仕事の味覚」がずれれば、味を調整するために、ある人は「パチンコ」という調味料を加えるかもしれません。またある人は、「消費者金融」という味つけを試みるかもしれません。「愚痴」が大量に発生すれば、それを消すために膨大な時間と資金が必要になり、並みの感動では満足できなくなり、ひねくれ者になって、最後は信頼されず、期待されず、借金と悪評しか残らないような社会人になってしまうかもしれません。
そして、味覚障害になりそうな人ほど「今の○○くらい、別にいいやん」と言うのと同じように、仕事の味覚障害になりそうな人も、若い頃に同じことを言っていると感じました。楽しいものが「きつい」、手抜きが「正しい」…味覚が異常だと、インプットも全てずれます。これは、実に恐ろしいことではないでしょうか。
だからこそ、今の学生時代は、「本物がおいしくなる勉強」が何よりも大切です。楽しいことを「楽しい」、素晴らしいことを「素晴らしい」、立派なことを「立派」だと言える素直さこそ、育てるべき「基本的味覚」ではないでしょうか。
本メルマガでも、毎回適度に「ピリッ」と来る唐辛子を入れています。気分が乗らない時は、読み飛ばしてもらっても構いません。しかし、そういう内容は全て、僕が皆さんに先んじて叱られてきたことばかりです。「良薬は口に苦し」というように、僕の人生の味覚、仕事の味覚を正常に保ってきてくれた薬は、ほかならぬ「言葉」でした。そういう言葉を思い出しては選び、毎晩学生の皆さんに届けています。僕は、実は「シェフ」でもあったわけです。
人生には感動や共感、発見、成長、失敗、挑戦など、多くの食べ物があり、それぞれの達成が個性的な「味」をしています。素直になれば、全ておいしい食べ物になります。人生を耕し、良い食べ物を食べ、そこから健全な栄養を摂取し、夢と自分を大きく育てていきましょう。