■「内定への一言」バックナンバー編


 「自分探しと言う前に、今の自分を受け入れよう」


人生をマラソンや旅に例えるのは、ままあることです。それはそれで、似通った性質を持っているし、分かりやすいなぞらえ方です。始まりと終わりがあり、自分の意思や才覚次第で、過程も結果も変わってくる。というドラマ性を考えれば、何があるか分からない、何をするか分からない、という冒険めいた楽しさも想像できます。そういう点で、人生は確かに「自分探し」の一面を持っているんでしょう。



しかし、あくまで単なる「一面」だと言うのは、こういう文学的な、センチメンタルな考え方だけでは、現実が余計に疲れてくるだけ、という結果を招きかねないからです。うまくいかなかった、結果が予想と違う、人に負けた、人の注目を失った、期待していた未来とは違う未来が現実になったといった、人生でよく経験する「誤算」に際して、「そうだ、今の自分は本当の自分じゃない。本当の自分は、未来のどこかで待っているはずだ。よし、自分探しの旅をしよう」と思い込むのは、実に気持ち良い錯覚でしょう。


ここのところ流行っている歌には、得体の知れない傷に疲れた心を察し、癒すというか理解するというか、あるいは認めるといった、そういう柔らかい歌詞が多いように感じます。それか、相手もいない未来や社会に対して、孤独な独り言を託すような歌。ポップスやファッションは景気の影響を受けやすいものなので、歌詞にも時代の違いがあるなぁとはよく感じることですが、それにしても、歌の世界がそのまま人生観や就活にまで及んでいる学生も、少なくないのではないでしょうか。

 つまり、「明らかに自分が手抜きと分かっていながら、自分探しとかカッコつけて、現実逃避をするな」ということです。僕は普段、フリーターの再就職支援の仕事をしています。社会のお荷物と呼ばれ、家庭内不良債権と呼ばれ、受験競争の敗者と呼ばれ、傷付き、ひねくれ、自信を喪失した二十三~二十七歳の若者を相手にした、独特の商売です。僕が作ったビジネスモデルを事業化しましたが、かなりの根気と、集中力が必要な仕事です。そして、この仕事の中で、実にたくさんの「自分探し」という言葉を聞くのです。またそれは、「先延ばし人間」が好んで口にする傾向が強いと感じています。


僕は「自分探し」とか言って現実から逃げ、親の世話になり、スリルも責任もない日常に甘んじている若者よりも、受け入れたくもない現実と向き合い、自分の短所や力不足にどうしようもない悔しさを感じながらも、絶対にこのままでは終わらないぞ、と頑張っている若者の方が、ずっとずっとカッコよく見えます。努力すれば解決できることにすら向き合わず、世の風潮や安っぽい歌に流されて、自分でもよく分かっていない「自分探し」などと言う人間は、学生だろうが社会人だろうが、「本当の自分」など見つけることはできない、ということですね。出会うのはいつも、裏切られ、疲れ、嫉妬と憎悪に満ちた自分ばかり。自分で自分を欺いた代償というのは、だいたいそういうものです。


 

 皆さんは「自分」を見つけましたか?いますよね、そこに。お金も時間も、身分も環境も、学生時代ほど頑張りやすい時期はありません。そういう最高の環境で勉強できない人が、社会に出て何を学ぶというのでしょう。逆境の中で頑張るのが社会人とすれば、順境の中で頑張るのが学生です。思いを行動に移し、行動を継続させ、継続を習慣に変えれば、誰でも今の自分が最高に好きになります。そうして、「本当の自分」が「今の自分」になれば?文句はないはずです。今の自分を受け入れる学生はカッコいいです。だから今日から、そうなりましょう。