尖閣切手


尖閣諸島切手(琉球切手) 

尖閣諸島を描いた切手は沖縄が返還される直前の1972年4月14日に海洋シリーズ第三集「海鳥と海と鳥」をテーマとした切手「アホウ鳥と尖閣の海と南小島」切手として発行されています。

引用:http://www9.ocn.ne.jp/~petro/senkakukiite.html

日本郵政公社は、竹島写真切手の拒否と同じく尖閣諸島、北方領土の写真切手の申請を外交上相応しくないという理由で拒否しました。


では、なぜ発行出来たのか?
以下のような秘話があったのです。









『尖閣研究ー高良学術調査団資料集 上下』尖閣諸島文献資料編纂会編の下巻246頁にその秘話が書かれている。









その文献によると、アホウ鳥は絶滅したと思われていたが1971年に琉球大学調査団が尖閣諸島の南小島でアホウ鳥が棲息しているのを発見した。地球上で小笠原の鳥島と尖閣諸島だけにしか棲息せず驚天動地の快挙だった。

日本復帰直前の沖縄にとって大朗報だった。
 
米軍統治下の沖縄では琉球政府郵政庁が独自の切手を発行していた。1972年5月15日の復帰の日で琉球政府は消滅、琉球切手も消滅する。
アホウ鳥はその幕引きを飾るのに相応しく、琉球政府郵政庁がその切手の発行を企画した。しかし、当時は復帰直前、外交交渉は紛争し、日米両政府とも尖閣問題で神経ピリピリであった。
(米国政府は当初返還協定内に尖閣諸島を含めるのを渋っていた)

海洋シリーズ内3集「海鳥と海と鳥」のテーマでカムフラージュし米国の審査をパスさせた。琉球政府郵政庁の切手発行の機能を有している間に「海鳥と海と鳥」の切手の発行を成し遂げた。原画をデザインしたのは琉球大学教授安次富長昭画伯である。

尖閣諸島南小島の弾劾中腹の岩棚は南小島の写真と航海中に甲板に飛来したアホウ鳥を捕獲・剥製にしたものを
参考に描いたという。

当時の郵政人の心意気と切手発行の顛末を語り得る人は今はいない。




高校生が領土に関する意見を産経新聞に投稿していますので紹介します。
産経新聞 5月7日 談話室より引用

憲法改正と自衛力の向上を

高校生 小野夏海 15歳

 安倍晋三首相の経済政策に大きな期待が寄せられている。
しかし、安倍首相の政策で忘れてはならないものが、もう一つある。それは防衛力の整備と憲法改正だ。
最近は、経済政策ばかり取り上げるが、私はこちらも急務だと思う。

 近年、周辺の他国から日本の領土が脅かされるような状態が続いている。これを決して見過ごしてはならない。今は、日本の反応を見ているだけのようだが、そのうち本気で狙ってくるかもしれない。先人たちが必至になって守ってきた領土を、失うようなことがあってはならない。

 他国の侵略を防ぐには、ある程度の武力を持ち、周辺国ににらみをきかせる必要がある。

 もちろん武力で他の国を支配しようとすることは絶対に許されないが、領土は自分たちの力で守らなくてはならない。早く憲法を改正し、自衛力を整備してほしい。


素晴らしい意見です。憲法改正も急務ですが、まずは防衛費増額、自衛官の増員、すなわち国防体制を整える事が最重要課題であります。