久 方ぶりに娯楽小説の真髄(しんずい)を堪能した。ハラハラドキドキ、イライラムカムカ、クスクスゲラゲラ、そしてホロリとさせられる作者の魔術的なストー リーテリングに感心することしきり。大冊である。2段組730ページ超。この長丁場を一瞬も飽きさせず、それどころか読み進めるにしたがってさらに先の展 開を知りたくなる、文字通りの巻を措(お)く能(あた)わず、ページターナー本とは本書のように小説技法がテンコ盛りとなっている才気煥発(かんぱつ)な 作品のことを言う。
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(大森望訳、早川書房・2400円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 それもそのはず、作者は当代SF界随一の天性の語り部である。これまでに数々のSFの賞を総ナメにしてきたが、本書も例外ではなく、ヒュー ゴー賞・ネビュラ賞・ローカス賞の3冠王を達成している。そう、本書はSFである。タイムトラベラーもの。ここでSF食わず嫌いの方は尻込みしては大損。 時間SFにありがちな小難しい仮説やパラドックス理論や議論など気にするほどのことはなく、むしろミステリタッチの歴史冒険小説として味わえるのだから。

 2060年、オックスフォード大学の史学生3人は1940年代第2次世界大戦下の英国の現地調査に派遣される。一人は郊外の屋敷のメイドと して疎開児童を観察し、もう一人はデパートの売り子としてロンドン大空襲で灯火管制(ブラックアウト)下の市民生活を体験し、3人目の学生は史上名高い 〈ダンケルク撤退〉をアメリカ人記者として報道する。ところが、“史実”にはない出来事が生じ、あまつさえ彼ら3人は2060年に帰還することができなく なる。何が原因なのか?

 基本ストーリーはシンプルだが、それが三人三様の立場から語られ多面的な立体として浮き上がってくる過程は実に鮮やか。また主要登場人物の 3人の学生はもとより、脇役がリアルで生き生きとしているのも作者の技量の賜物(たまもの)。とりわけ、血肉のかよったキャラたちが織り成す勘違い・すれ 違いの妙で読者を焦(じ)らし刺激し、ラストまで有無をも言わせず連れて行く語りの妙には舌を巻くしかない。

 そして最後に読者は呆然(ぼうぜん)とする。ええっ、本書は物語の前編にすぎなかったのかと。鶴首(かくしゅ)して後編の刊行を待ちたい。