<坂木優子さん>

 

  90年代はグラビアアイドルの全盛期、写真集や深夜バラエティー番組で大人気だった。そのひ とりが坂木優子さん。93年、週刊プレイボーイの巻頭グラビアでデビューするや、ロリータフェースのEカップ美尻ギャルとして男性の視線を一身に集めた。 B89・W56・H86のナイスバディーが目に焼きついている坂木さん、今どうしているのか。

 

  JR逗子駅から徒歩2分のオープンカフェ「リコマナ ハワイアンカフェ」を訪ねると、白いキャミチュニック姿の坂木さんの笑顔が待っていた。

 「ここは主人がオーナーで、2年前の7月16日にオープンしました。ワタシも主人もハワイが大好きで、初めて出会ったのもハワイだし、結婚後、半年ほど住んでたんですよ」

  インターネットでつないだハワイのFMラジオがBGMで流れる店内は、南の島のカフェはきっとこんな感じなんだろうと思わせる空間だ。

 「店名の『リコマナ』はハワイ語で、リコが『新芽』、マナは『神が持つ力』を意味してて、実は小5と小3の2人の娘の名前でもあるんです」

  それにしても、健康的に小麦色に日焼けした坂木さん、スタイルも現役時代同様にバッチリだ。

 「まあ、うれしい! ワタシ的には年齢は25歳でストップしたまま。逗子とか、住まいがある葉山の浜辺で子供たちと泳ぐときは、今でもビキニです、フフフ」

 

  当然、気になるのはダンナの存在。櫻井貴幸さん、飲食店プロデュースで成功した実業家で、17歳年上だ。

 「写真集の何度目かのハワイロケで事務所の社長から紹介されましてね。ワタシの方が熱を上げちゃって、年齢差なんてぜ~んぜん気になりませんでした。で、23歳で結婚したんです」

   01年10月に長女が、03年5月に次女が誕生。その間、ダンナは食文化総研社長として「永田町 黒澤」を皮切りに黒澤明監督をテーマにした飲食店を4 店舗オープンさせた。ところが、05年、社長の椅子と株式をすべて譲渡し、アメリカでの飲食店展開を目標に別会社を立ち上げ、一家でハワイに移住。

 「ハワイに半年、それからロスで約2年、店舗探し、食材の仕入れルート確保に走り回りました。でも、そうこうしてるうちにアメリカ国内の景気が悪くなり始め、07年に帰国したんです」

  帰国後はダンナの実家がある都内・神楽坂で約1年暮らし、08年、葉山町に移った。そして、ダンナが逗子市の町おこしイベント「まちいっぱいのハワイアン」実行委員会に携わったのを機に「リコマナ」をオープンした。

 「ここで残念なお知らせがあります。駅前の再開発のためにお店は9月で閉店することになりました。移転先を探してますが、今月いっぱい、用事がなければ店にいます。ぜひ遊びにいらして下さい」

  葉山町に4人暮らし。愛車は真っ赤なボルボだ。