大津市いじめ事件の民事訴訟で、加害者側は「いじめではなく、じゃれ合っていただけ」と主張している。自殺の練習を何度もさせ、体育大会の会場で陰湿なリンチを加えるなど、数々の暴力行為が明らかになっているのに、見え透いた言い逃れはもう許されないと思う。
いじめの事実がこれほどハッキリしても、なぜ中学校と教育委員会が自殺といじめの因果関係を認めようとしないのか不思議でならない。
今度の事件では、859人の全校生徒を対象に実施したアンケートが、後々、重い意味をもってくると思われる。何と言っても生徒の学校での日常生活を一番よ く知っているのは生徒たちである。事実、民事訴訟の過程で公開された生徒のアンケートによって、中学校と市教委の無責任な保身と隠蔽(いんぺい)体質が 次々と明らかになり始めている。
いじめ事件が起きた今ではギャグのように聞こえるが、この中学では、平成21・22年度、文部科学省の「道徳教育実践研究事業」指定校となり、「いじめのない学校づくり」を宣言していた。ちなみにこの学校は、古代からの由緒ある地に建つ名門校である。
子供の命にかかわる深刻ないじめ・傷害事件が全国各地で連日報道されているが、子供の身の安全すら保障できないような公立学校とは一体どういう存在なのだろうか。
子供たちは毎日の大半を学校で過ごす。だからこそ、学びの場であり生活の場である学校で理不尽な暴力におびえることなく、毎日の生活を穏やかに過ごすことが保障されなければならない。これは、学校と教育委員会が子供たちに対して負う、何より優先すべき義務である。
ところで大津の事件は、18年前にいじめを苦に長文の遺書を残して自殺した愛知県西尾市の中学2年生、大河内清輝君の事件の再現ではないかと思う ほどよく似ている。大河内君の自殺の翌年から全国にスクールカウンセラーを配置するなど、対策は着実に強化されているはずだった。しかし、大河内君の死か らもう18年にもなるのに教育現場は何も変わらず、いじめ自殺を防げなかった。
あまり知られていないが、日本はノルウェーなどスカンディ ナビア圏に次いで、いじめ研究の先進国である。日本では、いじめの定義をはじめ専門的研究が深まる一方で、いじめ問題の焦点が拡散し、肝心なことを見落と してきた。いじめ根絶などの現実離れした理想にこだわり、同じ悲劇を二度と起こさないように手を打つ努力を怠ってきたのだ。
いじめ問題が危険水域を超えるに至った背景には2つあると私は思う。1つは、学校における教師と子供の師弟関係が崩れ去り、友達関係に変わったことである。善悪を明確にして、ダメなものはダメと言い切る教師の気迫と権威が失われた。
あと1つは、むき出しの暴力まで教育問題と捉えて学校で抱え込んだことである。その結果、校内の暴力行為が制御不能になり、いじめ自殺を防ぐことができな かったのだ。言うまでもなく学校は治外法権ではない。暴力を伴ういじめは犯罪とみなし、直ちに警察に通報すべきである。いじめ自殺の再発を防ぐために、社 会のルールを学校にも適用すべきである。
そして、親と教師は子供たちに、「卑怯(ひきょう)な振る舞いをするな!弱い者いじめは恥だ!」ということを教え続けなければならない。
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【プロフィル】石井昌浩
いしい・まさひろ 都立教育研究所次長、国立市教育長など歴任。著書に『学校が泣いている』『丸投げされる学校』。