平安時代末期に平家一族の崇敬を受け、仁安3年(1168年)頃に平清盛が現在の社殿を造営した。




平家一門の隆盛とともに当社も盛えた。




平家の守り神であった。平家滅亡後も源氏をはじめとして時の権力者の崇敬を受けた。




戦国時代に入り世の中が不安定になると社勢が徐徐(じょじょ)に衰退するが、毛利元就が弘治元年(1555年)の厳島の戦いで勝利を収め、厳島を含む一帯を支配下に置き、当社を崇敬するようになってから再び隆盛した。






平安時代平清盛は自分の悪口を言っただけで斬首などかなりの残酷な行いをしてきたのでそれのせいで平家が滅亡したのではないかといわれているそうです。






また征夷大将軍に任命された源頼朝が殺したとされている弟の義経は梶原景時の陰謀だと言われています。






兄弟同士で殺し合いなどいまでは考えることができないですよね。