霊的海、船、漁師、網、魚
新約聖書で比喩された「海、船、漁師、網、魚」は、世のものにたとえて霊的なものを知らせようとした比喩である。比喩で話したもう一つの理由は、サタンの所属の牧者たちに神様の秘密を隠すためである(マタ13:10~11、マコ4:10~12)。
マタ13章47~50節の「魚をとる比喩」で、比喩された海は世を言っていて(ダニ7:3、17)、船と魚を入れる器は世の中にある教会(天国)を言っていて(創7:1、啓8:9、啓18:17~19 参考)、漁師は伝道する人を言い(マタ4:18~20)、網は伝道する御言葉である聖書を言っていて(ハバ1:15)、魚は伝道される人を言っている(ハバ1:14、マタ4:18~20 参考)。船の漁師が海で網を持って魚をとることは、世の中にある教会の牧者が聖書の御言葉を持って世の中にいる人々に伝えることである。そして、良い魚が器に入ることは、その御言葉を聞いて御言葉に従って教会に出て来ることを意味し、悪い魚を海に捨てることは、その御言葉によって来るようになった人々の中から心の畑(心霊)が良くない者を再び世に捨てることである。
これは世である海に溺れている人々を神様のいのちの御言葉である網を打って天国に救う事を知らせた御言葉である。御言葉の網にかかって来た者は世の中から教会、天国に伝道されて来た者になるが、御言葉の網みにかかって来なかった者はそのまま世に残っているだろう。天の網、すなわち、御言葉を避ける者は救われない。海の漁師が船で網を持って魚をとることが天国であるならば、網にかかって行くことが天国に行くことなのか、かからないことが天国に行くことなのか、約束の御言葉で判断しなければならない。
イエス様が、なぜ、再臨の時はノアの時のようだ(マタ24:37~39、ルカ17:26~27)と言われたのだろうか?ノアの時、箱舟に乗った者だけが救われて、箱舟に乗らなかった者たちはみな滅ぼされた。今日もノアの時のように、網、すなわち、御言葉(神様)に従って箱舟(船)に乗らなければ、救いはなく、船に乗れば、救われて天国の民になる。この新しい契約の御言葉を信じて守らなければならない。
我が新天地イエス教は約束通り、ノアの時のような今日の救いの箱舟である。約束の御言葉を信じて守る者は天国の箱舟に来て乗るだろう。