迫害する理由と原因
● 本文:使7:51~53、マタ23:30~33
<迫害する者と迫害される者>
聖書には神様と悪魔がおり、それに属した牧者がいる。
6千年の神様の働きの中には、迫害する者がいて、迫害される者がいる(マタ5:10~12参考)。迫害する者は悪魔の所属であり、迫害される者は神様の所属であった。神様の牧者は愛と赦しと祝福をする者であり、悪魔の所属の牧者は迫害と呪いと偽りと争いを行う者であった。これで神様の所属と悪魔の所属をわかるようになる。
<迫害する理由と原因>
聖書に記録されたように、迫害する理由と原因は、自分が言った偽りのあかしを隠すためである(ヨハ15:18~25、16:1~30)。しかし、これは隠されるのではなく、罪を重ねる事である。迫害して 教会から追い出し、殺しながらも、これが神様に仕える事だと思うように(ヨハ16:2)、迫害する者は相変わらず自分たちが正統だと主張し、相手を異端だと責め立てる。これは、盗人猛々しい事で、異端が、彼らの教権でまことの正統を異端にするのである。黒い物を白いと言って白い物になり、白い物を黒いと言って黒い物になるだろうか?(イザ5:20~23)
ユダヤ人たちは、神様が遣わされた昔の預言者たちと、また神様がともにおられたイエス様とその弟子たちを異端だと言ったが(マタ26:65~73参考、使24:5)、異端にはならず、かえって異端だと言った彼らがまことの異端であった。今日、新天地にも異端だと言わないだろうか?しかし、新天地12支派は、聖書に約束された通り、天で行われたように、この地でも行われる神様の御国である(啓7章、14:1~5、21:1~2)。それゆえ、新天地は異端ではなく、「まことの端」、すなわち、正統であり、正統の中でも直通の啓示正統である。
初臨の当時、神様とイエス様は、旧約の約束通りもっとも不思議で驚き怪しむべき(イザ29:14)啓示の御言葉(マタ11:27)を伝えられて、その弟子たちもイエス様の啓示の御言葉を伝えた(ガラ1:11~12)。イエス様は、啓示の御言葉を伝えながら、当時の牧者たちをイザヤ書29章9~10節に言った盲人と言い、「盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むのです。」と言われた(マタ15:14)。そして、彼らが教え学んだものは、人の戒めでだけで、人の戒めで学んだ者は、口先で主に近づき「主よ、主よ」と言うが、その心は神様と遠く離れていると言われた(イザ29:13、マタ15:7~9)。この御言葉は、当時の牧者もその聖徒も救われないという事であり、イエス様の望み通り啓示を受ける者だけが神様を知り、救われるという事である。
これが初臨の時、ユダヤ人の牧者たちがイエス様とその弟子たちを迫害した理由であり、原因である。当時の牧者たちがイエス様をペストだ、異端だと言ったのは、人々がイエス様に行って、上記のような御言葉を聞かせないようにする方法であった(マタ23:13)。このような方法を使ったのは、自分たちが間違ってあかしした事、すなわち、偽りを言った事があらわになる事と、また自分たち(権威、地位、名誉、富など)が崩れることを恐れたからであった。もし、彼らが悔い改めてへりくだって御言葉に従順したならば、救われただろう。
<新天地イエス教を異端だと迫害する理由>
今日、新天地イエス教を異端だと迫害する理由は、初臨のイエス様の時と同じである。あちこちに真理はなく、人の戒めだけで、自分の威信を高めるために封じられた本の御言葉とその真相を偽りであかしした事が発覚するのではないかと恐れて、新天地を異端だと言って迫害する。全世界の中で啓10章の啓示の御言葉を受けてあかしする所は、ただ新天地だけであり、聖書に精通する所も、啓示と実像をあかしする所も、ただ新天地だけである。
イエス様が啓5章の神様の右の手にある封じられた本を受け取られて、啓6、8章で、全ての印を解かれた後、その本を御使いに渡され、御使いは啓10章で新しいヨハネに渡して食べさせた後、この啓示の御言葉と彼の見た事をもう一度もろもろの民族と国民と国語と王たちに伝えなさいと言った。それゆえ、民族と国民と国語と王たちが新しいヨハネに啓示を受ける事が、イエス様の御心であり、また、イエス様と新しいヨハネの望みである。この御心に従順しない者は、イエス様とその御言葉を信じない者である。この約束を信じない者が救われるだろうか?
今日、新約の啓示の御言葉で人の戒めと注釈の間違っている偽りのあかしについて説明したので、これ以上、嘘をつくことはできないだろう。我が新天地は、その誰もができなかった事をあかししたので、誰も、その罪を弁解する余地はないだろう。
まことの救いを受けることを願う者は、人の言葉よりイエス様の啓示を信じなければならないし、判断も聖書を通してしなければならない。啓示録はイエス様の啓示であり、加減すれば天国に入れず、災害を免れられない(啓22:18~19)。牧者と聖徒は、本当にこの御言葉を信じているのか?啓示録を加減してはいなかったのか?人々は誰でも本に書きしるされているところに従って、おのおの自分の行いに応じてさばかれる(啓20:12)。誰でも、今日、約束された啓示と実像を信じる者は救いを得るようになる。