天地を区分できない者たちの異端説
初臨のイエス様の時、人類をご自身の血で救うために来られたイエス様を異端、またはペストだと言いながら迫害して殺した(マタ27章、使24:5~9参考)。誰が?当時のユダヤ人である牧者たちと長老たちが…(マタ26:1~5、27:1~2)。
今日、既成教会(教団)の牧者たちは、新天地イエス教(略称「新天地」)に対して、何と言いながら迫害しているだろうか?
• 新天地イエス教教会の代表を教主だと言っている。
長老教は、その名前から見て、長老が教主になったと言えるだろう。また、長老教を創設した人がカルヴァンなので、カルヴァンを教主と言う事もできるだろう。しかし、新天地イエス教は、イエス様が教主である。新天地イエス教証拠幕屋聖殿は、神様とイエス様が聖書に約束しておかれた教会(聖殿)であり、教団である(啓15:4~5、21:1~3参考)。宗教(キリスト教、イエス教)を造られた方は神様であられるので、その宗教の教主は神様であって、人が教主になる事はできないのである。新天地の教主を人だと言っている者は、自分の教会(教団)でそう言っているせいだと思う。新天地の教主を人だと言い、異端だと言うのは、天地を区分できない者たちの無理押しの異端説である。
• 「新天地イエス教がマタイの福音書24章だけを終末論だと言った。」と言って、新天地を異端だと言う。
言った事のない言葉を言ったと言って押しつける事は,人が与えた教権で異端を作り出す作戦を行う行為である。
• 新天地で「収穫する。」という話をする事と、その言葉通り行う事は、異端の行為だと言っている。
収穫の時があると言われたイエス様(マタ13:24~30)を異端だと言って、今日、イエス様の御言葉とその御言葉通りに行う事をまた異端だと言うのは、その時の、その霊が入って、またそのような行動を繰り返すのである。イエス様が「その事の起こる前にあなたがたに話したのは、それが起こった時に信じさせるためです。」と言われた(ヨハ14:29)。
• 「比喩を解く所は異端」と言っている。
これもまたイエス様を異端だと言う事と同じである。イエス様は、旧約の預言通り天国の秘密を比喩で語られ(詩78:2、マタ13:34~35)、弟子たちにその意味を解き明かされた(マタ13:36~40、マコ4:34)。それゆえ、比喩を解く事で新天地を異端だと言う事は無理押しの主張である。
• 「神様の御言葉の勉強をする所は異端」と言っている。
これは、イエス様が御言葉であり(Ⅰヨハ1:1)、御言葉を教えていたので、イエス様を異端と言う事になる。従って、神様の御言葉の勉強を教えて学ぶ新天地を異端だと言うのは無理押しの主張である。
• 「啓示を伝える所は異端」だと言っている。
これは、イエス様が啓示を伝えられたので、イエス様を異端だと言う事になる。2千年前の初臨の時、イエス様に異端だと言ったその霊が、今日の偽りの牧者に入って、また啓示を伝える新天地を異端だと言うのである。しかし、再臨の時である今日、イエス様の啓示を伝える新天地が正統の中のまことの正統である。
• 新天地の牧者が保恵師だと言ったと言って異端だと言っている。
イエス様がご自身を保恵師だと言う事によって、当時のユダヤ人の牧者たちがイエス様を異端だと言った(Ⅰヨハ2:1欄下注、ヨハ14:16参考)。初臨当時のイエス様は、その肉体に聖霊が臨んだ(マタ3:16、ルカ3:22、ヨハ1:32)牧者であったので、保恵師(代言者)であり(Ⅰヨハ2:1)、聖霊が臨まなかったとしても神様の種で生まれた牧者だったので(マタ1:18~21)保恵師になる。 保恵師 という言葉と聖霊という言葉は、その意味が違う。聖霊は聖なる霊という意味であり、保恵師という言葉は恵みで保護する師、すなわち、牧者という意味である。それゆえ、保恵師の聖霊もいて、保恵師の牧者もいる。記録されたように、聖書で、「主の御名で来られる保恵師聖霊は、人の中に臨まれる(ヨハ14:16~17)。」と言ったので、これは初臨の時、神様の聖霊がイエス様の中におられた事と同じである。初臨の時、神様の聖霊が共におられたイエス様をユダヤ人の牧者たちが異端だと言ったので、再臨の時である今日も、初臨のイエス様を異端だと言って迫害をしたその霊が、既成教会の偽りの牧者の中に入って保恵師聖霊が共にいる新天地の牧者を、また異端だと言っている。これは無知だからとも言えるが、その迫害の霊がその人の中に入って働いているせいである。
• 「新天地イエス教が彼らの伝統とは違う名称の教会(教団)名を使っている。」と言って、異端だと言っている。
聖書にない教会(教団)の名称を持っている伝統の教会が、聖書に約束された新天地イエス教証拠幕屋聖殿を異端だと言うのは、初臨の時、イエス様とその弟子たちを「新しい教え」と言いながら迫害をした(使17:16~21参考)その霊がまたその教会の人々の中に入って話す言葉である。
また彼らは、「獣と戦って勝利した者たちが集まっている証拠幕屋聖殿(啓15:2~5)は異端」と言っている。これは、この聖殿を約束されて、その約束通り成し遂げられたイエス様を異端だと言う事になる(ヨハ14:29参考)。新天地イエス教証拠幕屋聖殿は、神様とイエス様が約束されたまことの教団であり、まことの正統である。
• 既成教会で収穫された初穂、すなわち、神様とイエス様の御名によって印を押された12支派14万4千人の新天地の聖徒を異端だと言っている。
これは神様とイエス様の啓示の御言葉を聞いて認めて信じる事を異端だと言う事になる。 神様とイエス様は、啓示録成就の時、収穫される事を聖書で約束されたのであり(マタ13:24~30、啓14:14~16参考)、新天地の聖徒は、約束通りに啓示の御言葉によってシオン山に収穫されて来た初穂である(啓14:1~5)。もし、我が新天地が啓13章の「獣」に刻印を受けたとしたならば、彼らは喜んで笑いながら私たちの事を異端だと言わないだろう。現在、既成教団の教会で幕屋聖殿(啓2、3章の七つの金の燭台の幕屋、啓13章の天の幕屋)の聖徒たちを自分の教徒にしていて、彼らには異端だと言っていないのが現実である。
自分の教会で真理を伝えると出教させて、さらには、自分たちとは異なる教理、すなわち、 イエス様の啓示の御言葉を信じると言って殴り殺しながら、自分たちが聖霊を受けた正統であり、これこそ神様に仕える礼だと言っているので、イエス様の預言(ヨハ16:1~2)が思い浮かんで来る。彼らは、自分が主張する二重予定説を信じないと言って人々を殺したカルヴァンにとてもよく似ていると 思う。自分の聖徒が真理を探しに新天地に行くことを遮り、また自分も行かない。これはまるで初臨の時から遺伝されて来た蛇とまむしのような牧者たち(律法学者たちとパリサイ人)と同じ行為である(マタ23:13、33~34参考)。
• 「新約の戦争を教理で戦う霊的な戦争」だと言うと言って新天地を異端だと言っている。
既成教会の牧者たちは、新約聖書で言っている戦争を肉的な世の戦争だと言っている。新天地が、新約の戦争が神様の御国の聖徒と悪魔の国の教徒との「教権的な教理戦争」だと言うと言って異端だと言った。これは偽りを言う教会が正統だと自称しながらまことの言葉を 言う教会を異端だと言う事である。これは、その中にいる神(霊)が問題である。
誰が正統であり、誰が異端だろうか?聖書通り行って成し遂げる事が異端だろうか?聖書の意味も知らず、まことの意味ではない偽りのあかしをする事が正統だろうか?新天地イエス教は、真理で戦って勝利して、聖書の約束通り成し遂げられた啓示を六何原則に基づいてあかししている。
我が新天地は、天から来た手紙、すなわち、イエスキリストの啓示を伝えており、新約の預言が人になって成し遂げられた事を見て聞いて伝えている。預言は、それが成し遂げられる時に信じさせるために前もって話したもの(ヨハ14:29)というイエス様の御言葉通り、新約の預言が成し遂げられる時に見て信じて救われる者になろう。