主の臨まれる事と世の終わりの前兆
● 本文:マタ24章
本文の内容を要約して説明すると、下記の通りである。
弟子たちがイエス様に聖殿が崩される時と、主が来られる時と、世の終わりの前兆について尋ねた(1~3節)。イエス様は答えて、まず人に惑わされないように気をつけなさいと言われた(4節)。その理由は、その時になると、国は国に、民族は民族に敵対して立ち上がり、ききんと地震が起こり、人々が大勢つまずき、互いに裏切り、憎み合い、不法がはびこるようになるからである(7~12節)。そして、この天国の福音(マタ24章の預言)があかしされるために全世界に宣べ伝えられると、終わりの日が来ると言われた(14節)。本文の事件の場所は聖殿(選民の幕屋)であり、「地震」は患難による心の揺れを、「ききん」は御言葉がない状態を示している。そして、その日とその時はだれもわからないと言われた(36節)。
天国の福音が地の果てまで宣べ伝えられる事によって、世の終わりが来ると言われたが、この世の終わりに互いに戦う二つの国はどんな国だろうか?初臨の時、イエス様は、同じ国の牧者である律法学者、パリサイ人たちと霊的戦争をされた。イエス様が彼らに向かって「蛇(まむし)」と言われたので(マタ23:33)、神様の御国と悪魔の国との戦いであって、この時、イエス様はあかしの言葉で戦って勝利された(マタ4:1~11、ヨハ16:33 参考)。再臨の時の事件である本文の戦争も、同じ国であるキリスト教の教団と、教団の中で聖霊の教団と悪霊の教団が互いに教権を握るためにあかしの言葉で戦う戦争である。啓13章と12章の戦争も再臨の時の事件であり、天の幕屋の聖徒たちと獣との戦争であって、戦う武器はイエス様の血とあかしの言葉であった(啓12:11)。
本文の敵が盛んな理由は、聖殿の聖徒が啓13章のように惑わされ、互いに憎み合い、殺し合ったためである。これゆえに、サタンの牧者が勝利し、聖殿の牧者が負けることになり、聖殿を滅亡させた滅亡者がマタ24章のように聖なる所、聖殿に立つようになったのである(15節)。この戦争が世の戦争であるならば、侵入者が聖殿ではなく、国の要地に立つだろう。再臨の時の侵入者 、すなわち、滅亡者は、初臨の時、バプテスマのヨハネの聖殿にユダヤ教の律法学者、パリサイ人である牧者たちが攻め込んだ(マタ11:12, 23:2)事と同じで、キリスト教の教権者であることをわからなければならない。
この時、屋根にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけないし、畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけないと言われた(17~18節)。そして、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女だと言われた(19節)。この苦難によって太陽、月が暗くなり、星々が落ちると言われた(29節)。屋根の上は天であり、落ちないでいる星は天に属した聖徒である。この星々にとって、家の中の物は滅亡者の教理であり、着物は偽善の行為である。この滅亡者の教理を受けないで、山へ逃げなさいという事である(16節)。
主の再臨の時は、ノアの時、ロトの時のようだと言われた(37節)。この時、滅亡者が立っている聖殿にいる者が救われるだろうか、山へ逃げた者が救われるだろうか?そして、誰が主に従順し、その御心通り行う者だろうか?アダムの世界が滅ぼされる時、ノアは船に乗って山(アララト山)へ行って救われ(創7、8章)、ソドムが滅亡される時も、神様がロトに、救われるために山に逃げなさいと指示されて、ロトと二人の娘は、「ツォアル」の都に逃れて、その後に山に上って住んだ(創19章)。本文の山は、イザ60:14のように、イエス様のいるシオン山(啓14:1~5)で、ここに行ってこそ救いがある。
神様は、選ばれた者たちのためにこの苦難の期間70年(ダニ9:2、エレ25:11、ゼカ1:12 参考)を少なくされたので(22節)、すなわち、啓示録で3年半に縮められたのである(啓11:2、13:5)。そして、身重の女と乳飲み子を持つ女は、本聖殿の牧者である(ガラ4:19、テモ1:2、Ⅰコリ3:2 参考)。文字通りの女ではなく、霊的な種(御言葉、ルカ8:11)を持っている者と霊的な乳、すなわち、御言葉を飲ませる者である(Ⅰコリ3:2)。
このような苦難によって暗くなって落ちる天の太陽・月・星は、霊的イスラエルを指し、暗くなって落ちるという事は、天に属していたが、地(肉体)に戻ってしまった事を意味する。これは同じキリスト教徒で、サタンの所属になった牧者の教団が神様の聖殿を教権で滅ぼした事件であり、この苦難によって太陽・月・星が暗くなったので、霊的な夜になった。これがキリスト教世界の終末である。
四福音書と書信書と啓示録に、イエス様は夜に盗人のように来られて収穫されると言われた。この時、主の再臨の前兆が夜になったこの天で現れ、イエス様は御使いとともに来られ、四方から収穫される(マタ8:11、ルカ13:29 参考)。しかし、この時、イエス様も御使いたちも霊で来られるので、目には見えない。この時、畑に残る者は毒麦であり、収穫されて行った者は救われる者である。この御言葉を信じる者はイエス様とその約束の御言葉を信じる者であり、この御言葉を信じない者はイエス様を信じない者である。
この時、時に応じて聖徒たちに、この時の食物を与える者にイエス様の全財産を任せると約束された(45~47節)。この「時に応じた食物」は何だろうか?
マタ24章の事件が起きた時には、マタ24章の預言の御言葉とこの預言通り成し遂げられた事をあかしして下さる事が、この時の霊の食物である。マタ24章は、主の再臨の時の事件の一部を話したものであるが、啓示録は、拡大して詳しく話したもので、啓示録の預言通り成し遂げられる時は、啓示録の預言の御言葉とその成し遂げられた実像がその時のまことの食物となる。この「時に応じてまとこの食物を分け与える者」がイエス様の御名によって来られる約束の牧者である。この時、この約束の牧者に出会い、預言と実像についてのあかしを受ける事が、すなわち、イエス様の啓示を受ける事になり、永遠のいのちと天国に至る資格を得るようになるのである。