だれかに教えたいこと


そもそも私はブログで大っぴらにクリスチャン生活を書こうとか、重大な責任を負ってキリスト教を広めようとか、大それたことは考えずに、日常生活のつぶやきで書いてます。


新米クリスチャンなのだから、50年聖書を学んでるベテランのように書けるわけがありません。


こう書いてみてどんな感じかな?とか、色々試したりしてます。


タイトルは私が思ってる神様像ではありません。


牧師先生の言葉です。


今、私が絵にしろ小論文にしろ、色々取り組んでみて、もちろん失敗だらけのはずです。


人間は失敗に怒ります。


「だからお前はダメなんだ」


と。


しかし、神様は元々私がどこで失敗するか、また、これからもどこで失敗するかとか、もう既にわかっているのです。


その失敗という罪を赦すと、主イエス・キリストは十字架にかかったのです。


今更私が失敗の隠蔽工作をしても、そもそも無意味なのだから、隠すとか隠蔽工作するとか、全部無駄です。


ネットの世界には『ガーディアン』がウロウロしてます。


ネットでアカウントを見つけて、「半人前のお前を俺が指導してやる」と、ご丁寧にも指図してくる人たち。


例えば『ポコチャ』みたいな課金してもらうのが鍵のSNSでは、「俺がお前をS帯(ランク)に育てるから、一切俺に従え」という先生ヅラした『ガーディアン(監視者)』が必ず現れます。


そして操り人形にされて、そもそもやりたかったことと変わっちゃったと落胆し、配信者を辞めていくわけです。


しかし、主イエス・キリストが行う修正は、そんなものではありません。


私が仕えるのは主イエス・キリスト、誰か分からない、会ったこともないのに先生ヅラする人間ではありません。


ここに書いてあったことはアメブロユーザーにも「アタシもあの人たちそう感じてた」と思うでしょう。


ネットの世界にはガーディアンがいる


これをわきまえて、警戒心を持って表現活動してみましょう。


あなたの失敗は誰かではなく、主イエス・キリストがしてくださいます


皆様が護られますようにお祈りしています。










 

 

 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する