クリスチャンと言うと清く正しく美しく、と敷居が高そうにみえますが、そもそも主イエス・キリストは「病人のために来た」と言ってます。
クリスチャンになるぐらいですから、それぞれに苦しみがあるでしょう。
そもそも、赦すというところで「私にその余裕が無い」と絶望しかかりますが、そこでも主イエス・キリストの救いはあるようです。
すなわち、赦すのは神様なのです。
私は赦せるだろうか。
そんなアクロバティックなことは出来ないかもしれない。
出来るなんて言ったらさらなる偽善者?
『氷点』のような苦悩があるわけですが、私も赦す主を信じて、主の御名でお祈りします。