帰りたくなる場所


私は街をだいたい上の3つに分けてみてます。


自分がハイムにいて、タウンに住み、シティの中にいる。


昔私は仙台のシティが気に入っていました。


仙台市というのは、私が越して来た頃はまだ街中の住宅も共同トイレとかも多く、風呂の無い家も多かったです。


新仙台駅が出来たのは昭和52年頃ですが、私の記憶ではその頃から仙台は都会派になっていったと感じます。


私が働き始めた80年代にはSS30なども出来て、二番町通りなども都会っぽく、私は歩くのが好きなので会社の帰宅も北四番丁から愛宕橋まで、県庁、中央通り、五橋という感じで眺めて歩いて帰ったりもしてましたが、その通りが都会的で満足していたものです。


当時はバブルにわいていた頃ですね。


私が過労で倒れた24の時に、私は一旦、かつての世界のように周りが見えなくなりました。


倒れる前は、絵描きとして盛んになってもいて、都会的な感覚に触れて、まるで太陽の子のように太陽の光をさんさんと浴びていた感じでした。


しかし、倒れてからは私の心は闇に覆われ、そしてまるで日蝕が起きたかのように見える街並みも薄暗く感じたもので、20代はそんな感じで失意で過ごしていました。


ひとつには、過労で倒れた私は一時期、全く絵が描けなくなっていたのです。


それまで築き上げたものが瓦解し、例えば手が震えるとかではなく、脳の回路が絵を描くには不都合になったかのように、全く描けなくなってしまったのです。


その頃は本当に絶望でした。


その絵については、どうやら薬の副作用だったらしく、新しく出た副作用の少ない薬でやっと解決しましたが、それでもかつての私に比べたら、ひどく落ちた絵しか描けないという、スタートラインに戻った感じでした。


30代に私はアニメーター復帰を断念し、漫画家を目指すために通信制の高校に入学しました。


そして引越しもして、今の街に住んでますが、高校を順調に卒業し、やがてパソコンでの絵の描き方も慣れてきて漫画家として仕事が始まり、今はまた太陽の光をかつてのように見てます。


印象派なので太陽の光は生命です。


今住んでる街はむしろ町という感じで、タウンです。


もう20年住んでますが、今の私の意識レベルにはシティはきついので、お粥のようなタウンに馴染んでます。


その私の郷愁もハイムになります。


小学生だった頃と変わらない、誰もが帰りたくなるハイムです。


私は昭和49年に仙台市に引越してきましたが、岐阜の山奥にいた頃の町は、時代とともに変わって、もう日本全体がシティになったという錯覚をしてました。


しかし、仙台市内でもあちこち歩き回るようになり、私がかつて住んでいた岐阜の山奥の町のような町並みも、まだ残っていると見つけました。


そうすると、かつての私を思い出し、また生命の息吹がよみがえるのです。


ハイム、タウン、シティ。


その太陽の下の世界が帰りたい場所ですが、やがて始まる新天地には、この町並みと変わらず美しいまちがあるのだろうと思い浮かべてます。










 


 

 

 

 

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