睡眠については四十代半ばからさほど悩まなくなりました。


アラン・ホブソンを学び、フロイトやユングを忘れて、夢の意味など存在しないと考え始めてから、どんどん解放されています。


夢の意味を考えてしまう方も多いでしょうが、私は夢の意味など存在しないと考え始めて、睡眠が安定し、解放されて解放されて、なんで夢の意味など考えていたのだろうという感じです。


夢の意味を考えている時のムダのひとつは、昼間起きていて頭を使うだけ使っているのに、寝てる時まで「自分の無意識を知ろう」と夢を考えているとか、なるほど、それでは「夢=無意識を知る探求」についての分の頭の休憩が必要になります。


そもそもが頭を休めるのが睡眠のはずなのに、寝てる時まで夢の意味を考えて、意識しているならば、いつ自分の頭を休める時間が来るのでしょうか。


そもそも夢で私のステータスが確定するのでしょうか。


いい夢を見た日は自分は調子いいぞとウキウキし、かと思ったら悪い夢を見て俺の調子はどん底らしいぞとうなだれて、毎朝起きた時の夢の記憶でその日1日の自分のムードが決まる。


そして、悪い夢は数ヶ月でも見ますよね。


そこで常日頃夢に支配されて、夢に操られて、自分の人生のステータスが夢に決定されている。


ムダな時間です。


そんなのムダです。


そもそも夢に意味が無いことを大脳生理学的に知り、夢から解放されて生きる毎日の方がマシです。


夢の意味を考えてこそ自分が解放されるというならば、では今悩んでる悪夢からはいつ解放されるのでしょうか。


もう少し夢を理解出来れば、少しマシになったと思うので、もう少し夢を理解出来ればバラ色の人生なのだ、と、何十年が過ぎているのでしょうか。


そして悪夢を見る、悪夢を見る、と、一度しか無い自分の人生の何十年が夢に支配されて過ぎて、やり直しも出来なくなっている。


それよりは、現代の大脳生理学的な睡眠の科学を受け入れ、フロイトやユングという過去の時代の、脳を調べる手段も無かった頃の理論を忘れて捨て去り、負担なく暮らせる方がマシです。


そこを意識したい、という時に悪夢を見てうなされる、という時に、医者を頼るのであり、非科学の夢占いを自分が求めていて、それに固執して日常生活を壊滅させていながら『先生、悪夢を見るんです』では、ちょっと難しい気がします。


今の時代に例えばデカルトの人体についての仮説(哲学?)を信じて暮らしている人がどれだけいるでしょうか。


ならば、もういい加減フロイトやユングやアードラーも同じ空想哲学だったのだなぁと忘れていいのでは?


今は全く悪夢を見ない、悩まされない私個人はそう思います。


最近の睡眠は

 

 

 

 

 

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