#尊いもの 神の為でなければ諸々が無意味に感じるこの頃
主イエス・キリストに仕える為に聖書の勉強を始め、聖書を読み進める今、己の芸術も、神の御名の為でなければ虚しいと、心から思うようになりました。私の家庭の幸福も、神の祝福を祈って、という感じです。別に洗脳されてるわけではなく、私の本心の価値基準が、神に感動しているということです。また、主イエス・キリストは独裁者ではありません。父(アバ)です。自己犠牲で神を敬っているわけではなく、神を敬うことが己と家族を愛すること、と、私自身は納得した、ということです。私の芸術も、例えば今の時代は芸術もビジネスで押しまくる人もいますが、ビジネスの為の芸術だったら、私が描くという行為も、なんと虚しいでしょうか。タレントでも、あぁ、ビジネス上手いんだね、と感じる人は幾人もいますが、しかしそれ以上感動もしません。例えば『日経ビジネス』や『日経新聞』を読み、『Bsテレ東』のニュース番組をメインに観ますが、それもビジネスに感動してるわけではなく、神の創られたこの世界の様々な『物語』を読むにはちょうどいいのが『日経』なのです。元々が『日経サイエンス』から入っていったので、その頃から「世界の物語を知ることが出来る日経」と、積み重ねた信用があります。サイエンスも、この宇宙を創られたのが主イエス・キリストと受け止めると、また感動が大きくなる。コレは私の主観に於ける感動なので、他者からすると「大丈夫、この人?」でしょう。私も様々な課題を持ち、課題を持つから主イエス・キリストに祈るのですが、見つけた大きな一般方向として、神を求めて生きていくだろうと感じています。それは尊いことでしょう。