今から 25年も前の映画なんですね。
この映画は 当時若かった私にとって
、まさに「人が生きるとは?」という
大命題を初めて 問いかけてくれた映画です。
そういう意味でも 俳優の演技においても
心に強く 印象を持っている1本です。
重い題材ですが、素晴らしい映画なので
見て欲しい作品です。
「レナードの朝」 1990年米・公開
レナード役・ロバート・デ・ニーロ
マルコム・セイヤー医師・ロビン・ウィリアムズ

ノンフィクションと言われいるが、原作に基づき レナードに
焦点をおいて描かれていて、フィクションという立ち位置のようです。














1969年。ブロンクスにある慢性神経病専門の病院に
赴任してくるところから始まります。人付き合いが苦手な
セイヤーは医師でありながらも臨床経験が ほとんどなく、
長く研究者として生きてきた。長く、現場から遠のいていたセイヤーは
現代の医療の現実を見て、愕然とする。
薬漬けにされ、生きる屍のごとく身じろぎもしない患者たち。
話しかけても、口をゆがませるわけでもなく、瞳を動かすわけでもなく
意志も意識もあるのか分からない中で、この患者たちは一体、
なんの為に生きているというのか。現実と直面し言葉を失う。
このままでいいのか。なんとかならないのか。
患者を目覚めさせたい!そして、生きている実感を
与えてあげたい。そんな思いから、患者たちに接していく。














この患者たちの中に デ・ニーロ演じる レナードがいる。
彼は 重症患者でもう何十年と病院から外に出たこともない。
レナードは何十年も外の世界を知らない。初老に差し掛かったレナードに
外の世界を見せてあげたい。セイヤーは思う。
そして、ある日 患者に反射神経が残っていることに
気づいたセイヤー。当時、まだ投与を認められていなかった
パーキンソン病の新薬を この患者たちに 投与することを考える。














なんとか 周りを説得して レナードをいわば 実験台として
新薬の投与をする セイヤーとレナード。
少しのその可能性を信じて、未知の世界へ挑戦し続けるセイヤーと
レナード。幾多の葛藤、苦難を乗り越えてやがて、レナードは目覚める。
自分の足でベットから立ち上がり、言葉を交わすレナード。
自分の意思で動くその素晴らしさに感動する。それを見て、喜ぶセイヤー。
その成果に、人々は驚愕する。このレナードの驚異的な回復を見て
他の患者たちにも薬を投与。みな、劇的に回復していく。













そんなある日、病院に見舞いに訪れていたポーラに出会い彼女に
恋をするレナード。外出許可を病院側に出すが、却下。慎重な
経過観察中だという理由からだった。
これに怒ったレナードは強烈に暴れまわる。それをきっかけに、病状が
悪化していく。薬の副作用で、凶暴になっていくレナード。
身を削り、眠る時間も削り研究を重ね、新薬にすべてをかけていた
セイヤー。また、危険を顧みず未知の世界が希望の世界であると
新しい世界に思いを馳せたレナード。













人生は皮肉だ。新薬によって目覚め、その薬によって
レナードがレナードであることを失いつつある時、セイヤーは
レナードが新薬によって目覚めた時の VTRを見つめるシーンがある。
その時、看護師であるエレノアに
「僕を親切な人間だと思うかい?
人に目覚めを与え、その目覚めを奪ってしまうのに。」
と、一言いうシーンがある。
罪悪感に苛まれて、自分のしたことが果たして、正しかったのか?
そういうセイヤーにエレノアは優しくいうのだ。
「生きるって…奪うことの連続よ。」と。
この一言に私は「ハッ」と、した。
目覚める前のレナードの姿は、生きてはいないのだ。
何を奪うこともなく、奪われることもなくただ、そこに存在するだけ。
生きることは 奪ったり、奪われたりして 傷つき,つらく、悲しい。
だが、そのことこそが。
生きる証なのだと。
ほんの束の間でも、生きる素晴らしさと生きた証を残した
レナード達は、それで良かったのだと。
生きるという意味が 希薄な現代社会に
生きる素晴らしさを伝える珠玉の1本である。











余談ですが、セイヤーを演じた ロビンは
昨年、衝撃的になくなってしまいました。
もう彼の最新作が 見れないと思うととても悲しいです。

