こんばんわ
寒い日が続きますねぇ
早く春が
が来ないかなぁ


と、日々思ってるこの頃…
今日は 映画日記ブログです。
この1年近く、韓流1色だった私ですが
観たい映画が 溜まってしまっていて
やっと、見始めました
なにせ 韓国映画、ドラマが観たい私。
優先順位がどうしても
優先になってしまいまして…。
その他にも k-popアーティストの DVDやらで
体が2つ欲しい。そんな日々
勿論、仕事はしていますが その時間が惜しい(笑)
そんなことですが、ずっと観たかった作品があって
やっと、観れました
そして、その内容があまりにも素晴らしくて
思わず、感想を書きたくなりました。なので、あくまで感想文ですので
多少独りよがりもありますが、お許しくださいませ
「チョコレート・ドーナツ」 2012/米
脚本を書いたジョージ・アーサー・ブルームがNYで
実際にあった実話にインスパイアされて、書き上げた
のが本作。
1979年のカリフォルニア。ゲイバーで女装をして
ダンサーとして働くルディ・ドナテロは毎日 店のショーに
立ち日々を暮らしている。素晴らしい声の持ち主ではあるが
宝の持ち腐れ。夢のない日々を それでも懸命に生きている。
ある日、バーに一人の男が現れる。ルディのショーを
熱心に見つめるその男に一目ぼれするルディ。
彼は ポール・フラガー。ポールは検事局に勤める
ホワイトカラー。 1度は結婚したがやはり本当の自分を
偽れなく、離婚した経緯をもつ。
一目惚れで恋に落ちた二人だが、今でこそアメリカも
同性愛者や性的マイノリティーに理解があるように見えるが、
1970年代後半はそんなことはなく差別や罵り、嘲り、異質なものを
見る空気感はまだまだ色濃い時代だった事が
映画から分かる。















ルディ役に アラン・カミング。私の中ではミュージカル俳優
というイメージがあるけれど、多才な人で 劇中の歌唱力は
勿論、ダンス、脚本、監督など多岐に渡って活躍している人だそう。
ルディとカップルになるポールには ギャレット・ディラハント。
テレビドラマに数多く出演している人ですが、2008年の映画
「ノーカントリー」にも出演している人でした。どちらにしても
実力派ベテラン俳優だということは事実。
この2人が ゲイカップルを演じています。















次の日、隣に住む住人が麻薬所持で逮捕される。
ルディは偶然にもその住民の息子と鉢合わせになる。
前の日の夜、母親が出て行くのを見送っていた後ろ姿を
部屋の外から見ていたルディは、昨日から母親が帰っていないまま
逮捕されたことを知ってその子を連れて、ポールの事務所を訪れる。
突然の訪問に困るポール。女装はしていないが立ち振る舞いで
いわゆるオカマである事が分かる。昨日の関係を持ち出されたら困る
とでも思ったのだろう。だが、ルディはこの子の為になにかアドバイスが
欲しいと、言う。となりの住人がドラッグ中毒で逮捕されて、息子が一人
置き去りにされている。と。ポールは「そういう場合は家庭局が
引き取るから、そこに任せなければいけない。」
と、言いルディを帰らせる。なす術もないルディ。
家庭局や児童局は心のないルディから言わせると、劣悪な環境。
そんな所にこの子を送るなんて…。と。
その少年は マルコ。15歳のダウン症の少年だ。
愛らしい笑顔で人を惹きつけるマルコ。そんなマルコは
ドラッグ中毒の母親でもやはり、家が良いらしく入れられた
家庭局の施設から、出てきてしまう。ルデイは家に向かって
夜の街を歩くマルコを偶然見かけて、自分の家に連れてきてしまう。
このまま、施設に返す気のないルディは ポールの提案で
ポールの家に同居することになる。















同居してからの3人が紡ぐ時間が、本作の見所だと思う。
障害を持って生まれたマルコと、性的障害者(差別的意味
ではなく)の2人が出会って心をと心を通わせていくうちに
愛情が芽生え本当の親子となっていく姿を描いている。
2人は、マルコの母親から出所するまでの養育権を認めてもらい
合法的に引き取った。
晴れて、2人はマルコの養育上の父と母になった。
マルコは チョコレート・ドーナツが大好きで、何が食べたい?
と、聞くとチョコレート・ドーナツと答える。
ルディが母親のように「チョコレート・ドーナツはだめよ。体に悪いわ。」
と、いうとポールが父親のように「たまにだったら、大丈夫さ。」と、
マルコに優しくドーナツを差し出す。笑顔でドーナツにかぶりつくマルコ。
その光景は、微笑ましい親子のようで印象深い。
ルディが身の回りの世話をし、宿題や勉強はポールが見てあげる。
2人は例え養育上の親子であっても、十分に愛を注ぎマルコ
も笑顔が溢れていく。
ポールが人並み外れたルディの歌声に感動して、
デモテープを作るためにスタジオでルディの歌を録音する
シーンがある。この映画では、心情を表す為にルディの歌声や歌う
シーンが多いと思うが、言葉で言われるよりもずっと、感情的で
心に直にドンっとくる。このシーンもそうで、ルディが
「♪私のところにおいで♪」と優しく歌いかける声は恋をする
心情に聞こえるというより、母親が「ぼうや、ママの所に
おいで。」と、呼びかけているように受け取れる。
(それにしても、さすが舞台で鍛えられただけのことはあって、アラン・カミングの
歌唱力は素晴らしい。の一言。)ルディの声をうっとりと聞く、マルコ。
愛らしい微笑みが印象的だ。















そんな幸せな3人に暗雲が垂れ込める。2人の関係を
怪しいと思っていたポールの上司が2人がマルコの養育に
ふさわしくない関係であると、垂れ込んだのだ。
2人の関係は公になり、ポールも解雇されてしまった。
そして、2人がマルコにどんなに愛情を示してきたか、
どのように接してきたかを説明してもわかってもらえない。
異常性愛者がダウン症の子供を引き取って、良からぬことを
しているに違いない。そんな、偏見に満ち満ちた中でも2人は
諦めずに訴え続けた。始めは訝っていた調査員も2人の愛情は
本物であり、マルコになんら悪い影響を与えるとは思えず、
むしろ好印象を持つようになったと、証言する。
また、マルコの学校の担任は2人が養育するようになってから
清潔な服装になったし、何より学力の向上が著しい。
と、後押しをしてくれた。裁判の間、2人と引き離され
色んな家庭に預けられていたマルコに
電話を掛け「もうすぐ、家に帰れるからね。」と、励ますルディ。
「…約束?」そう問い直すマルコに
「そうよ。約束よ。」と、誓うルディ。
暗かった顔に花が咲いたように笑うマルコ。
これだけで、見ているものには十分、通じている。
マルコは今、生まれて初めて。
幸せだと、実感しているのだろうと。
ところが…。裁判所の決定は「2人の養育権は認められない。」
と、いうものだった。
なぜなら…?司法取引で早く出所したかった母親を利用して
州と検察側は出所させる代わりに、養育権の無効を訴えさせ
たからだ。
母親に勝る親はいない。そういう司法の判断によって
2人はあっけなく、マルコを失った。
家に帰れると思ったマルコに待っていたのは、母親との出口の
ない生活だった。
職員の人に連れられて、「さぁ、家に帰りましょう。」
と、連れて行かれた先が母親の元。
マルコは小さく、それでもずっと「ここは、僕の家じゃない。」と、言うのだ。
そんな、小さな声はかき消されてしまうのだが。















大音量で音楽が流れる部屋。薄暗く、散らかった部屋。
薬物中毒の母親がまた、ドラックに手を出している。
男を連れ込み、邪魔なマルコを廊下に追いやる母親。
悲しそうに 外に出ていくマルコ。自分の家はここじゃない。
優しいルディやポールの居る家が僕の家。その、家はどこだろう。
また、少しだけだよ。と、言ってチョコレート・ドンーナツをくれるかな?
ルディはまた、優しく歌ってくれるかな?ルディの歌が聴きたいな。
そう思って、外に出ていくマルコ。
寒い冬の夜。厚手のジャンパーも無いままに彷徨い歩くマルコ。
ふと、橋の上で夜の街の光りに溶け込んでいるマルコがいた。















ラストシーン。ルディのデモテープに興味を持ったラスベガスの
ショーのオーナーがルディを歌手として契約する。
まだ、週2だが自分だけのステージを持つ意味は大きい。
そこでルディは歌う。
「♪私は必ず、解放する!!」と。
そして、最後にポールが新聞の片隅に載っていた
小さい記事を裁判長、弁護士、検事に送る。
「あなたは多分知らないでしょう。大統領選などの影に隠れて
見過ごされた小さな記事です。ある冬の寒い朝、一人の少年が
橋の下で凍死しているのが発見されたことを。
3日前に家出したまま行方がわからなかった少年でした。
その少年は マルコです。
あなたたちが下した間違った判断によって、亡くしてしまった命。」
最後、どうだったかこの文の通りだったか、正直自信がありません。
ハッピーエンド。と、思い込んでいた私はあまりの衝撃で思わず
「えっ!」と、声を出してしまいました。
そのBGMにルディの歌う「私は解放する」が流れるのです。
どうしようもなく、悲しいです。流れる涙が止まりませんでした。
これを書いている今も、涙が出ます。きっと、マルコは前出した様に
自分の家はここじゃない。
優しいルディやポールの居る家が僕の家。その、家はどこだろう。
また、少しだけだよ。と、言ってチョコレート・ドンーナツをくれるかな?
ルディはまた、優しく歌ってくれるかな?ルディの歌が聴きたいな。
そして、最後の一瞬までそう思っていたのだと思いたいのです。
そう思って微笑みながら死んでいったのだと思いたいのです。
そうでもなければ、私の心が張り裂けてしまいそうだから。

寒い日が続きますねぇ

早く春が
が来ないかなぁ


と、日々思ってるこの頃…
今日は 映画日記ブログです。
この1年近く、韓流1色だった私ですが

観たい映画が 溜まってしまっていて
やっと、見始めました

なにせ 韓国映画、ドラマが観たい私。
優先順位がどうしても
優先になってしまいまして…。その他にも k-popアーティストの DVDやらで
体が2つ欲しい。そんな日々

勿論、仕事はしていますが その時間が惜しい(笑)
そんなことですが、ずっと観たかった作品があって
やっと、観れました
そして、その内容があまりにも素晴らしくて思わず、感想を書きたくなりました。なので、あくまで感想文ですので
多少独りよがりもありますが、お許しくださいませ

「チョコレート・ドーナツ」 2012/米
脚本を書いたジョージ・アーサー・ブルームがNYで
実際にあった実話にインスパイアされて、書き上げた
のが本作。
1979年のカリフォルニア。ゲイバーで女装をして
ダンサーとして働くルディ・ドナテロは毎日 店のショーに
立ち日々を暮らしている。素晴らしい声の持ち主ではあるが
宝の持ち腐れ。夢のない日々を それでも懸命に生きている。
ある日、バーに一人の男が現れる。ルディのショーを
熱心に見つめるその男に一目ぼれするルディ。
彼は ポール・フラガー。ポールは検事局に勤める
ホワイトカラー。 1度は結婚したがやはり本当の自分を
偽れなく、離婚した経緯をもつ。
一目惚れで恋に落ちた二人だが、今でこそアメリカも
同性愛者や性的マイノリティーに理解があるように見えるが、
1970年代後半はそんなことはなく差別や罵り、嘲り、異質なものを
見る空気感はまだまだ色濃い時代だった事が
映画から分かる。















ルディ役に アラン・カミング。私の中ではミュージカル俳優
というイメージがあるけれど、多才な人で 劇中の歌唱力は
勿論、ダンス、脚本、監督など多岐に渡って活躍している人だそう。
ルディとカップルになるポールには ギャレット・ディラハント。
テレビドラマに数多く出演している人ですが、2008年の映画
「ノーカントリー」にも出演している人でした。どちらにしても
実力派ベテラン俳優だということは事実。
この2人が ゲイカップルを演じています。















次の日、隣に住む住人が麻薬所持で逮捕される。
ルディは偶然にもその住民の息子と鉢合わせになる。
前の日の夜、母親が出て行くのを見送っていた後ろ姿を
部屋の外から見ていたルディは、昨日から母親が帰っていないまま
逮捕されたことを知ってその子を連れて、ポールの事務所を訪れる。
突然の訪問に困るポール。女装はしていないが立ち振る舞いで
いわゆるオカマである事が分かる。昨日の関係を持ち出されたら困る
とでも思ったのだろう。だが、ルディはこの子の為になにかアドバイスが
欲しいと、言う。となりの住人がドラッグ中毒で逮捕されて、息子が一人
置き去りにされている。と。ポールは「そういう場合は家庭局が
引き取るから、そこに任せなければいけない。」
と、言いルディを帰らせる。なす術もないルディ。
家庭局や児童局は心のないルディから言わせると、劣悪な環境。
そんな所にこの子を送るなんて…。と。
その少年は マルコ。15歳のダウン症の少年だ。
愛らしい笑顔で人を惹きつけるマルコ。そんなマルコは
ドラッグ中毒の母親でもやはり、家が良いらしく入れられた
家庭局の施設から、出てきてしまう。ルデイは家に向かって
夜の街を歩くマルコを偶然見かけて、自分の家に連れてきてしまう。
このまま、施設に返す気のないルディは ポールの提案で
ポールの家に同居することになる。















同居してからの3人が紡ぐ時間が、本作の見所だと思う。
障害を持って生まれたマルコと、性的障害者(差別的意味
ではなく)の2人が出会って心をと心を通わせていくうちに
愛情が芽生え本当の親子となっていく姿を描いている。
2人は、マルコの母親から出所するまでの養育権を認めてもらい
合法的に引き取った。
晴れて、2人はマルコの養育上の父と母になった。
マルコは チョコレート・ドーナツが大好きで、何が食べたい?
と、聞くとチョコレート・ドーナツと答える。
ルディが母親のように「チョコレート・ドーナツはだめよ。体に悪いわ。」
と、いうとポールが父親のように「たまにだったら、大丈夫さ。」と、
マルコに優しくドーナツを差し出す。笑顔でドーナツにかぶりつくマルコ。
その光景は、微笑ましい親子のようで印象深い。
ルディが身の回りの世話をし、宿題や勉強はポールが見てあげる。
2人は例え養育上の親子であっても、十分に愛を注ぎマルコ
も笑顔が溢れていく。
ポールが人並み外れたルディの歌声に感動して、
デモテープを作るためにスタジオでルディの歌を録音する
シーンがある。この映画では、心情を表す為にルディの歌声や歌う
シーンが多いと思うが、言葉で言われるよりもずっと、感情的で
心に直にドンっとくる。このシーンもそうで、ルディが
「♪私のところにおいで♪」と優しく歌いかける声は恋をする
心情に聞こえるというより、母親が「ぼうや、ママの所に
おいで。」と、呼びかけているように受け取れる。
(それにしても、さすが舞台で鍛えられただけのことはあって、アラン・カミングの
歌唱力は素晴らしい。の一言。)ルディの声をうっとりと聞く、マルコ。
愛らしい微笑みが印象的だ。















そんな幸せな3人に暗雲が垂れ込める。2人の関係を
怪しいと思っていたポールの上司が2人がマルコの養育に
ふさわしくない関係であると、垂れ込んだのだ。
2人の関係は公になり、ポールも解雇されてしまった。
そして、2人がマルコにどんなに愛情を示してきたか、
どのように接してきたかを説明してもわかってもらえない。
異常性愛者がダウン症の子供を引き取って、良からぬことを
しているに違いない。そんな、偏見に満ち満ちた中でも2人は
諦めずに訴え続けた。始めは訝っていた調査員も2人の愛情は
本物であり、マルコになんら悪い影響を与えるとは思えず、
むしろ好印象を持つようになったと、証言する。
また、マルコの学校の担任は2人が養育するようになってから
清潔な服装になったし、何より学力の向上が著しい。
と、後押しをしてくれた。裁判の間、2人と引き離され
色んな家庭に預けられていたマルコに
電話を掛け「もうすぐ、家に帰れるからね。」と、励ますルディ。
「…約束?」そう問い直すマルコに
「そうよ。約束よ。」と、誓うルディ。
暗かった顔に花が咲いたように笑うマルコ。
これだけで、見ているものには十分、通じている。
マルコは今、生まれて初めて。
幸せだと、実感しているのだろうと。
ところが…。裁判所の決定は「2人の養育権は認められない。」
と、いうものだった。
なぜなら…?司法取引で早く出所したかった母親を利用して
州と検察側は出所させる代わりに、養育権の無効を訴えさせ
たからだ。
母親に勝る親はいない。そういう司法の判断によって
2人はあっけなく、マルコを失った。
家に帰れると思ったマルコに待っていたのは、母親との出口の
ない生活だった。
職員の人に連れられて、「さぁ、家に帰りましょう。」
と、連れて行かれた先が母親の元。
マルコは小さく、それでもずっと「ここは、僕の家じゃない。」と、言うのだ。
そんな、小さな声はかき消されてしまうのだが。















大音量で音楽が流れる部屋。薄暗く、散らかった部屋。
薬物中毒の母親がまた、ドラックに手を出している。
男を連れ込み、邪魔なマルコを廊下に追いやる母親。
悲しそうに 外に出ていくマルコ。自分の家はここじゃない。
優しいルディやポールの居る家が僕の家。その、家はどこだろう。
また、少しだけだよ。と、言ってチョコレート・ドンーナツをくれるかな?
ルディはまた、優しく歌ってくれるかな?ルディの歌が聴きたいな。
そう思って、外に出ていくマルコ。
寒い冬の夜。厚手のジャンパーも無いままに彷徨い歩くマルコ。
ふと、橋の上で夜の街の光りに溶け込んでいるマルコがいた。















ラストシーン。ルディのデモテープに興味を持ったラスベガスの
ショーのオーナーがルディを歌手として契約する。
まだ、週2だが自分だけのステージを持つ意味は大きい。
そこでルディは歌う。
「♪私は必ず、解放する!!」と。
そして、最後にポールが新聞の片隅に載っていた
小さい記事を裁判長、弁護士、検事に送る。
「あなたは多分知らないでしょう。大統領選などの影に隠れて
見過ごされた小さな記事です。ある冬の寒い朝、一人の少年が
橋の下で凍死しているのが発見されたことを。
3日前に家出したまま行方がわからなかった少年でした。
その少年は マルコです。
あなたたちが下した間違った判断によって、亡くしてしまった命。」
最後、どうだったかこの文の通りだったか、正直自信がありません。
ハッピーエンド。と、思い込んでいた私はあまりの衝撃で思わず
「えっ!」と、声を出してしまいました。
そのBGMにルディの歌う「私は解放する」が流れるのです。
どうしようもなく、悲しいです。流れる涙が止まりませんでした。
これを書いている今も、涙が出ます。きっと、マルコは前出した様に
自分の家はここじゃない。
優しいルディやポールの居る家が僕の家。その、家はどこだろう。
また、少しだけだよ。と、言ってチョコレート・ドンーナツをくれるかな?
ルディはまた、優しく歌ってくれるかな?ルディの歌が聴きたいな。
そして、最後の一瞬までそう思っていたのだと思いたいのです。
そう思って微笑みながら死んでいったのだと思いたいのです。
そうでもなければ、私の心が張り裂けてしまいそうだから。


