あなたは「自然」が好きですか
あなたは「自然」が好きですか。その「自然」とはいったいなんですか。どこか変じゃないですか。
「自然が好き」、「自然に癒される」と言うとき、私たちは緑の森や、きれいな海、鳥の声などを思い浮かべます。自然は、私たちの外にあって、心を落ち着かせてくれるものとして語られます。
しかし、私たち自身も自然の一部です。私たちの身体は、ほかの動物と同じように、生まれ、育ち、やがて死んでいきます。それなのに、私たちは自然を、自分とは別のものとして眺めています。自然の中にいるはずの自分が、いつの間にか、自然の外から自然を扱う立場になっているのです。
この見方は、自分の身体にも向けられます。「自分の身体なのだから、自分の思いどおりにしたい」。そう考えるとき、私たちは、命令する自分と、命令に従う身体という二つに、自分を分けて捉えているのではないでしょうか。
もちろん、私たちは考えて身体を動かします。しかし、考えることも、感じることも、身体と切り離されて起こるわけではありません。疲れると考えがまとまらなくなり、不安になると身体がこわばります。精神と身体は、別々に働いて、あとから合体しているものではありません。私たちは、精神と身体が切り離せない、一人の人間として生きています。
それにもかかわらず、身体を自分の意志に従わせるべき相手として扱うと、身体は「私が生きていることそのもの」から、「私が支配するもの」へと変わってしまいます。自然の一部である自分が、自分の身体や周囲の自然を、支配される側に置いてしまうのです。
ここで、身体を機械に置き換えるという構想を考えてみましょう。身体の働きを機械で補うことから、さらに進んで、身体全体を交換しても「私」はそのまま残ると考えるとしたら、何を前提にしているのでしょうか。
そこには、「交換される身体と、交換されずに残る自分とを分けられる」という考え方があります。「身体は取り替えられる入れ物で、その中にいる『私』は変わらない」という見方です。しかし、精神と身体が不可分なら、「身体を取り替えても同じ自分が残る」と、当然のようには言えません。「身体を交換することは、自分自身に何が起こることなのか」という問いを避けることはできないのです。
周囲の自然についても、同じ問いが生じます。私たちは、自分を楽しませてくれる自然を歓迎します。一方、自分を脅かす自然は、抑え込み、取り除こうとします。「自然が好き」という言葉の背後には、「自然を人間の都合に合わせて扱えるものにしたい」という願いが潜んでいるのではないでしょうか。
コロナウイルスも自然です。けれども、森や海について語るときのように、それを歓迎することはできません。ここに、私たちの言う「好きな自然」の条件が表れています。私たちは自然を、その一部として受け止めているのでしょうか。それとも、自分に害を与えず、自分の支配が及ぶものとして受け入れたいのでしょうか。
あなたはやっぱり自然が好きですか。コロナウイルスも好きですか。
