ピダハンの世界から⑴
思索の楽しみ⒀に引き続き、脱石油社会の構築方法について考察していくことになるのだが、方法論的に、まず我々の石油文明の正体を明らかにする。
現代の我々の文明、とりわけ近代以降の西洋社会を基盤とする文明は、デカルト哲学に象徴される世界観の確立によって、その特徴が明確に形を取ったと考えられる。この文明の根底には、次のような思想的構造が存在する。
第一に、人間中心主義(anthropocentrism)である。人間は世界の中心に位置づけられ、地球を含む自然界は人間の利用に供されるべき対象であるとみなされる。この観念は、キリスト教の「支配せよ(dominion)」という自然観、近代啓蒙思想の「理性の無限の進歩」という信念、そして資本主義の「欲望の拡大を制度化する仕組み」が重なり合うことで強化されてきた。
第二に、自然は目的や内的価値を持たない「機械」として理解され、操作・制御可能な対象として扱われる。デカルトの心身二元論は、自然を数量化し、予測し、制御するという近代科学の方法論を正当化した。こうして成立した近代科学と技術の結合体、いわゆるテクノサイエンス(techno-science)は、人間の欲望を実現するための最も強力な手段として機能するようになった。
第三に、人間の欲望は原理的に無限であると想定され、その欲望の拡大が「成長」や「進歩」と同一視される。資本主義はこの欲望の無限性を制度として組み込み、経済成長を社会の最優先目標として位置づけた。その結果、地球資源が有限であるにもかかわらず、あたかも無尽蔵であるかのように扱われ、「大量生産→大量消費→大量廃棄」という循環が正当化されることになった。
この循環を物質的に支えたのが、高密度エネルギーとしての石油である。石油は、自然界に存在するエネルギーの中でも特異な効率性を持ち、20世紀の経済成長を爆発的に加速させた。石油文明は、近代思想が抱えていた「無限成長」の理念を、物理的条件によって現実化したと言える。
しかし、自然界は有限であり、エネルギー資源の収支比(EROI)は低下し、生態系の収容力にも限界がある。有限世界において無限成長を追求することは、数学的にも生態学的にも不可能である。したがって、この文明が依拠している前提そのものが、構造的に持続不可能であることは明らかである。人間の欲望が無限であるのに対し、自然は有限である以上、この文明は必然的に臨界点に達し、崩壊へと向かわざるを得ない。
以上を総合すると、現代文明を支えている思想は、一言で言えば 「無限性の幻想」 に他ならない。この幻想こそが、自然支配、無限成長、効率化の強迫、そして石油文明の加速を正当化してきた。しかし、この幻想を維持し続けることはもはや不可能であり、文明そのものの再定義が求められている。
