前回と前々回にピダハンを紹介したが、皆さんは彼らからどのような印象を受けただろうか。我々より劣った未開人だと思っただろうか。しかし、エヴェレットはそうではなかった。エヴェレットは元々キリスト教の宣教師としてピダハンへのキリスト教の布教のためにアマゾンの奥地まで赴いたのだが、彼らの世界観に触れて彼はキリスト教信仰を捨て、無神論者へと転向してしまったのだ。そして、それが元で妻と離婚することにもなってしまった。いったい何が彼に起こったのだろうか。「精神生活が充実していて、幸福で満ち足りた生活を送っている。」と彼は本の中でピダハンについて述べているのだが、以下にエヴェレットを無宗教に改宗させた原因を探る旅に出かけることにする。
ピダハンが極めて特異な文化や言語を持つことになった原因を彼らの生活環境に還元する研究者も少なくないが、ピダハンと同じような生活環境にあっても、必ずしもピダハンと同様の道を歩んでいないことを鑑みると、ピダハンの特異さの原因を生活環境以外の所に求めるべきだと考えるのが妥当である。そこで我々はピダハンの特異性を最も顕著に現していると考えられる彼らの認知・思考様式にまず焦点を当てることにする。それはイビピーオという言葉が示している。エヴェレットはこの言葉を発見した経緯を次のように述べている。
「パンサーを仕留める」は、直接的な体験を描いた典型的なテキストです。これは、すべてのピダハン物語を限定する重要なパラメータです。ピダハン物語が常に直接的な体験を描いていることに気づいた後、私はピダハンについて多くの不可解な事実を理解する鍵となる新しいピダハン語を学びました。
それはイビピーオです。私がこの単語を初めて聞いたのは、ジャングルから戻ってきた狩人が到着する場面でした。おそらくピダハン最高の狩人だったイプウーギがジャングルから村へと歩いていくと、数人のピダハンが「イプウーギ 彼 イビピーオ 来る」と叫びました。
次にこの言葉を耳にしたのは、コーホイビイーイヒーアイが、マイシ川河口のすぐ下流、マルメロス川で釣りをした後、カヌーで帰宅した時でした。川のカーブを曲がって彼が見えてきたのを見て、一人の子供が興奮気味に「コーホイビイーイヒーアイがイビピーオ来るぞ!」と叫びました。
しかし、この表現を最も頻繁に耳にしたのは、飛行機が村に着離陸する時でした。この文脈でこの言葉を初めて聞いたのは、数週間家族と村で過ごした後、朝目が覚めて飛行機を見るのが楽しみでたまらなかった時のことです。私はコーホイビイーイヒーアイに叫びました。「おい、コー!太陽が真上に来たら飛行機が来るよ!」彼は私の小屋より上流にある自分の小屋から叫び返しました。「飛行機を見たい!」そして振り返って、村の他のピダハンたちに、「今日飛行機が来るってダンが言ってたよ。」と大声で言いました。正午が近づくと、村中のピダハンが皆、耳を澄ませ始めました。飛行機が来るという誤報が何度かありましたが、主に子供たちからでした。「あそこだ!」と叫んだものの、すぐにクスクス笑い出し、何も見聞きしていないと白状しました。そしてついに、私が飛行機の音を聞く数分前に、ほぼ村全体から一斉に「ガヒオー、ヒ ソオーアー アブーパイ」(飛行機がもう来る)という叫び声が上がりました。すると人々は近くの空き地に駆け寄り、雲間から現れる飛行機を一番に見ようと目を凝らしました。皆がほぼ同時に「飛行機が来た!「ガヒオー イビピーオ アブーパイ」と叫びました。
飛行機が離陸するときも、ポルト・ベリョへと戻りながら地平線に消えていく飛行機を見ながら、皆は「ガヒオー イビピーオ オピタハ」と似たような表現で叫びました。
こうした観察から、私はその言葉の意味をやっと推測することができました。それは「たった今」のような意味でした。例えば、「彼はたった今到着したところだ」とか「飛行機はたった今出発した」といった具合です。この推測はかなりうまくいくように思えたので、私も自分の会話の中でその言葉を使うようになりました。私がその言葉を使うと、常にピダハンの人々は私が言っていることを理解しているようでした。
ある夜のことです。アイカーイバイーと、上流のピダハンの村から最近私たちの村に引っ越してきたばかりの老人アバギが私の家にやって来ました。私は彼らが来る数分前に灯油ランプを消したばかりでしたが、灯油ランプを使うのは面倒だったので、代わりに懐中電灯を点けました。しかし、話しているうちに懐中電灯の電池が弱くなってきました。私は台所へ行ってマッチを取りに行きましたが、ちょうどそのとき電池が切れました。真っ暗闇の中、私はアイカーイバイーとアバギの2人と話し続けていました。アバギは突然、私が彼らに渡したばかりの釣り針を落としました。私はマッチを使って、床に落ちた貴重な釣り針を探すのを手伝いました。マッチがちらつき始めました。2人の男たちは「マッチがイビピーオしている」と言ったのです。別の夜でも、消えかけていたキャンプファイヤーの炎について、こ言葉がこのように使われているのを聞いたことがありました。こうした文脈では、ピダハンはこの言葉を副詞としては使っていませんでした。
うぁー!ある日の午後、これは「たった今」という意味ではない、と気づきました。この言葉は何かが視界に入ったり消えたりする状況を説明するのに使われるのだ!だから、誰かが川の曲がり角を曲がって来るのは、ちょうど視界に入ってきた時なんだ、と思いました。こう考えると、飛行機が地平線に消えていく時のように、何かが視界から消える時にもピダハンがこの言葉を使うわけを説明できるのです。
それでも、私は何かを見落としているような気がしていました。視界に入ることとその反対である視界から消えることの両方を含む、もっと一般的な文化的概念があるに違いないと思ったからです。イビピーオという言葉が、話し声がやっと聞こえるようになった時や聞こえなくなった時を説明する時や、例えば、私がポルト・ベリョのSILメンバーと、家族の無事を知らせたり、物資を注文したりする等々のために、双方向無線で私が毎朝話している様子を説明する時に使えたことを思い出しました。
私が双方向無線で話しているのを聞いたピダハンは、朝初めて無線から聞こえてくる男性の声について、「あの外国人はイビピーオ話している」と言ったと思います。
(つづく)
