「タイムトラベル成功!」と言えるには、物理学の単なる素粒子の時間旅行の成功では不十分であり、タイムトラベラーである生身の人間が未来または過去に旅したということを意識していなければならない。ではタイムトラベラーはいかにしてこの意識を持つことが可能になるのだろうか。
まず、「タイムトラベルが単なる夢ではなく、現実である」ということを自覚していなければならない。もし夢の中であればタイムトラベルは日常茶飯事であり、この種のタイムトラベルについてはそもそも議論する必要がないからだ。そして次に、「タイムトラベル出発前と出発後で自己が同一である」という意識を持っていなければならない。出発後にタイムトラベラーが死んでしまったり、出発前の記憶が失われてしまったりしてはいけないからである。以上の条件が満たされて初めて「タイムトラベル成功!」と言えるのである。では、一つずつを詳しく見てみよう。
まず、偽物のタイムマシンに搭乗したタイムトラベラーSに、催眠術を用いてタイムトラベルの夢を見せたとしよう。第三者にはSがただタイムトラベルの夢を見ていたにすぎないということは明白であるが、S本人は実際にタイムトラベルしたと主張するだろう。Sには夢と現実を区別する手段はないのだ。ただ、我々は科学的タイムトラベルについて考察しているのだということを踏まえ、科学の三要素である「実証性(自分の仮説を実験などで確かめる)」、「再現性(条件を変えて実験を繰り返しても同じ結果を得られる)」、「客観性(実証と再現によってより多くの人に承認される)」を満たすか否かを検討すると、明らかに再現性が担保できないと考えられる。つまり、同一の外的条件下であれば、いつ、誰がタイムトラベルしても同様の時間旅行の経験を記憶していなければならない。例えば、2025年にタイムトラベル先を100年前に設定したとすると、誰が何回タイムトラベルをしようとも、タイムトラベル先の世界に関する記憶は1925年の記憶でなければならないのである。さもないと科学的タイムトラベルは成功したことにはならないだろう。
次は、出発前の自己意識と出発後の自己意識が同一でなければならないということだが、自分を自分だと意識するための条件には様々なものがある。まず二種類に大別する。公的自己意識(外的記憶)と私的自己意識(内的記憶)である。
まず前者の公的自己意識であるが、これを成立させるものは自分に関する過去の記憶、つまり、自分の外見や自己の社会的地位や他者から自分がどのように見られているのかに関する記憶を含む、自分が経験したことすべてに関する記憶である。浦島太郎で言えば、「浦島太郎」という自分の名前や、若い男性であるという自分の肉体的状況や、自分の職業は漁師であり、年老いた両親を養って貧しい暮らしをしていたなどの社会的状況に関する記憶及び、いじめられていた亀を助けたという経験等に関する記憶である。
次に後者の私的自己意識であるが、これを成立させるものは、「我思う、ゆえに我在り」とデカルトが言うときの我を客体化する力、すなわち「メタ認知力」である。いずれを欠いても自己意識の同一性を主張することは不可能である。この自己意識を失った状態は、自分の名前や自分の家族や自分の社会的役割を認識できない「認知症患者」、自己同一性の喪失者を想像すると容易に理解ができる。では、どうすればタイムトラベルの出発前と出発後の自己意識の同一性を保証できるのだろうか。
この点に関してはこれまで議論されることがなかった。それは単に無視されてきたからだろうか。それとも自己意識の同一性の保証を立証できる科学的手段を全く想像できなかったからだろうか。あるいは、自己意識の同一性の保証は、タイムトラベル実現の夢を語る上で必要不可欠の前提として暗黙裡に了解されているからだろうか。しかしこれはタイムトラベルの科学的可能性を探る上で無視してしまうことのできない問題ではないだろうか。
