ところで、百歩譲って我々に「静止した時間」が意識可能となり、タイムトラベルの出発時間を設定することが可能であるとしても、タイムトラベルを実現するには、さらに困難な問題を解決する必要があると思われ
るので、次にこの問題について考えてみよう。
まず科学的タイムトラベルが可能であると仮定しよう。
2325年8月8日に現在Aを出発し、Aの時間座標で10年後の2335年8月8日の未来Bに到着した後、Bの時間座標で1年間過ごしたとする。タイムトラベルの所要時間は0秒として、出発点Aに戻るためには、Bの座標系で何年前にタイムトラベルすればよいのだろうか。11年前だろうか。また一方、Aの時間座標で10年前の2315年8月8日の過去Cに到着後、Cの時間座標で1年を過ごしたとする。同様に0秒でタイムトラベルできるなら、Aに戻るにはCの時間座標で何年後にタイムトラベルすればよいのだろうか。9年後だろうか。
ここで便宜上、出発点Aに戻れることをタイムトラベル成功の条件とするなら、次の前提が不可欠となる。
①Aと比較可能な形でBやCの時間座標を設定できること
②AとB、またはAとCにおいて物理法則が普遍であること
我々が直接取りうる座標はAの時間に基づくものだけである。したがって、BやCで定義される時間座標がAと整合的に変換可能であることが前提となる。しかし、既知の理論では因果律を保ったまま過去に戻るような変換は保証されていない。また、物理法則の普遍性は科学を成り立たせる大前提であり、これが破れるならば「科学的タイムトラベル」という枠組み自体が成立しなくなる。
したがって、タイムトラベルの可能性を主張する立場は、こうした前提の不確実性を看過してはならないだろう。
