【なぜ肉食批判が受け入れられないのか】
<潜在意識としての罪悪感>
自己を他の動物と区別をすることで初めて人間は人間となった。では、いったい何を基準に自己と他の動物を区別するに至ったのか。いったい何によって自分達が他の動物とは異なるということを自覚するに至ったのか。当然ながら、この問いに対する答えを検証することは不可能なので、我々の答えも仮説にすぎない。しかし、仮説に対する誤解を避けるために、それは「人間にはあるが、他の動物にはないもの」と呼ぶことにしておきたいと思う。要するに、「人間にはあるが、他の動物にはないものを意識するようになって初めて、人間は自分達を他の動物とは異なるものとして理解するようになり、それは信念となった。」という仮説である。この信念の獲得と同時に、人間は死に対して、そして動物の殺生に対してある種の嫌悪感を抱き始め、埋葬を始めとする宗教的行為を行うこととなったと考えられる。つまり、これが人間誕生の仮説である。
この仮説に従うと、肉食は自分達が他の動物と異なる独別な生き物であるという信念を否定する罪悪感を伴う行為とみなされるようになるわけであるが、この罪悪感は通常意識される場合もあるが、意識されずに無意識化に抑圧されていることも少なくない。事実、多くの近代社会では、動物からその遺体である肉を可能な限り隔離することで、罪悪感が意識されないように工夫している。また、隔離されない場合は、神などの力を借りることによって罪悪感を昇華するという工夫を行っている。平易に表現するならば、殺生という事実から目を背けるか、肉食ができることに感謝するという工夫を凝らしている。いずれにせよ、罪悪感を払拭しようとすることは、人間にとって自分が他の動物とは異なる生き物であることを証明するためには不可欠なのである。しかし、罪悪感が完全に払拭されることは決してない。なぜなら、罪悪感を払拭しようとする行為が存在し続けているということ自体が罪悪感の存在を立証しているし、また、完全な罪悪感の消滅こそは人間と他の動物との間の区別の消失をまさに意味しているがゆえに、罪悪感の消滅は人格の分裂、すなわち人間の崩壊をもたらすからである。したがって、人間は、人間であり続ける限り、この罪悪感とは永遠に付き合っていかなければならないのである。
以上から分かるように、「『人間にはあるが、他の動物にはないもの』によって自己と他の動物を区別することで、人間は潜在意識としての罪悪感を獲得することになった。」という仮説がテーマ①の問いに対する我々の答えとなった。
