<討論その17>

 

参加者:今井氏、田村氏、平石氏(司会進行)

 

⒅34:56~35:58

平石「また機会を設けますので、ぜひお話にお願いします。」

 

今井「ほんとですか。お願いします。」

 

田村「ほんとですよ。今井さんは、伝える作業をメディアの中に出てきてやってるんで、やっぱ扇状になってるかどうかを VTRご覧になった方がいいと思います。」

 

今井「それでいいですか。どんな活動をしても、色々文句っていうのは出ると思うんですね。なので、それは承知の上でやってますので…」

 

田村「文句を言いたくない、僕は。」

 

平石「文句を言う気にもならないですよっていう意味で。だからそこはせせら笑わないでほしいんです。」

 

今井「笑ってないです。笑ってないです。」

 

平石「できれば、これだけ機会を設けて、お話ね、伺ってる機会あることを考えれば、ですからまあ次回ぜひまとめてきて、またお話しいただけるといいなというふうに思います。」

 

今井「次回はもっとちゃんと話させてもらえると思います。」

 

平石「ちゃんと話してないとは思ってませんけども、受け止め方として…」

 

今井「まず私が言いたかったことをもっと言わせてもらおうと思います。」

 

平石「最初からまず言いたいことから伺っているつもりではあったっていうのはご理解いただきたいなっていうことですね。」

 

今井「うーん、はい。」

 

平石「はい、今井さんでした。どうもありがとうございました。」

 

今井「ありがとう ございました。」

 

平石「Abemaプライム進行の平石直之です。ご視聴ありがとうございます。これを機にチャンネル登録よろしくお願いします。」


【概 要】

 閉会の挨拶

 

【まとめ】

<田村氏の主張>

 議論対象は主張内容ではなく主張方法と言っているにもかかわらず、主張内容についての議論を始めるという自己撞着を起こしていることから、田村氏は自己の感情をコントロールできないほどの嫌悪感をヴィーガンに対して抱いていることが分かる。一方で、ヴィーガニズムによって食の自由が侵害されるため、食の自由を自己の嫌悪感の正当性の根拠としているが、他方で、肉食の正当性の根拠を自らの経験に置き、この経験によって自己のアイデンティティを確立しているので、自己の食習慣への攻撃は自己のアイデンティティへの攻撃とみなしている。

 

<田淵氏の主張>

 命を尊重するというヴィーガンの考え方自体に自己欺瞞が内在していると考えている。つまり、ヴィーガニズムは偏った新興宗教の一種だと考えているが、その根本には自分の考え方は正常であるという意識が前提とされている。また、信仰の自由を肉食の正当性の根拠であると考え、この自由(多様性)を根拠にピータの主張方法を自由(多様性)を侵害する方法として批判している。

 

<佐々木氏の主張>

 ヴィーガニズムを排他的なある種の宗教であるとみなし、その排他性を行き過ぎだと判断し、多様性を尊重する自分の立場を暗黙の裡に肯定している。また、非経済性を理由にヴィーガニズム批判を試み、ヴィーガンの反肉食思想の合理的正当性を問うことによって、ヴィーガンの肉食批判の根拠の不当性を主張している。

 

<平石氏の主張>

 ピータの抗議行動に対する行き過ぎた主張は、この抗議行動によって司会進行役としての冷静な立場を見失うほど感情的になっていることを示唆している。また、「虐待を受ける動物の感情」と「ピータのキャンペーンから受ける人々の感情」の差異を無視して同列に並べるという論点のすり替えの根底には、「動物よりも人間の方が尊重されるべきであるという意識」と「ピータのキャンペーンに対する感情を多くの人々と共感できるというマジョリティの優越感」が潜んでいると思われる。

 

【今回の議論のテーマ「正しい主義主張の仕方」について】

 ここでは、まず「正しい主義主張の仕方」が実践されたか否かについて考察するが、主張の場面によって主張を2種類に分類する。一つは「ピータの抗議行動」の主張方法、もう一つはこの「アべマ・プライムにおける参加者達」の主張方法である。

 まず前者の主張方法であるが、この主張方法に対する討論参加者の意見は最終的に討論16で明確になった。つまり、「主張する相手の感情を配慮すべきであるが、ピータの抗議行動の主張方法はその配慮を怠っているという点で良くない」というのが、非ヴィーガン参加者がピータの主張方法を批判する結論と考えられる。しかし、ここでの「良くない」は「正しくない」ということを意味しているわけではない。市原氏が「反感を買う」と指摘しているように、抗議行動の目的達成にとって「効果的ではない」ということを意味しているに過ぎず、「効果的であるか否か」は「正しいか否か」という善悪とは無関係なのである。よって、ピータの抗議行動の主張方法に関する「正しい主義主張の仕方」は議論されておらず、ピータの抗議行動の主張方法が「正しい主義主張の仕方」であったか否かという問いに対する答えは見当たらない。

 後者の主張方法については、この議論において「正しい主義主張」が行われたかどうかを再度確認するために、今回の議論を参考に正しい主張方法を成立させるための条件を列挙する。

 

<参加者に関する条件>

①賛成と反対の力関係が平等である

②議題に関する知識や情報を十分に有する専門家が複数いる

 

<参加者の姿勢に関する条件>

③他の参加者の発言を遮らない

④相手の主張を正確に理解しようとする姿勢を持つ

⑤相手の意見を無視しない

⑥相手や相手の主張を侮蔑する表現をしない

⑦嫌味や皮肉を込めた表現を用いて、参加者の人格を攻撃しない

⑧主張のあら捜しをしたり揚げ足を取るなど、主張内容と無関係な攻撃をしない

 

<主張内容に関する条件>

⑨主張内容が建設的である

⑩主張内容が首尾一貫している

⑪自己の主張の根拠を明示している

⑫論点のすり替えなど、詭弁を用いない

⑬思い付きや憶測ではなく、データに基づいて主張している

⑭「見解の相違」という発言をしない

  ※そもそも「見解の相違」がなければ議論は不要であり、議論する以上は「見解 

   の相違」は前提であるので、「見解の相違」を議論上に持ち出すことは意味を 

   成さない。つまり、議論自体が無意味であることを主張していることになるの

   で、建設的議論は不成立となる。

 

<司会者に関する条件>

⑮司会者は第三者の立場に立って公平性を保ち、一方に組しない

⑯司会進行役は各参加者の主張が③~⑭の条件に違反しないように指導する

 

 ①や②は必要条件ではないが、③以下の条件にはことごとく違反していたのが今回の議論であり、このアベプラの放送は、反面教師として、「正しい主義主張の仕方」を教えることとなったのではないだろうか。

 

【追 伸】

  今回は、「正しい主義主張の方法」の観点からこの討論を分析したが、次回は、「ピータ批判」の観点から分析することにする。