<討論その16>
参加者:今井氏、田村氏、市原氏、田淵氏、佐々木氏、平石氏(司会進行)
⒄30:33~34:56
平石「感情がありますっていうのは、逆に言うと、受け手の感情もあるってことを、まあ言ってみれば、淳さんおっしゃってると。だから最初に冒頭におっしゃったサンタ姿によって煽られることのデメリットもあるかもしれないですから、それをね、そのそういう襲撃が起こるかもしれないってことに対して気持ちは分かりますみたいなことっていうのは、逆の気持ちも考えないといけないんじゃないですかっていうことを。」
田村「だってサンタクロースに夢を持ってる子どもたちがいて…。手挙げるのわかりましたから、こっちしゃべったら与えますから、その代わり扇状にしないで くださいね。サンタクロースが、サンタクロースに夢を見ている子供たちが、あのお姉ちゃん達何してんのって、あの人たちが動物食べるなっていうことを訴えるためにその他の格好をしているんですよっ てことを街中で見ちゃうことがあるじゃ ないですか、うちの娘だったら、いいあのお姉さんはああいう主張なんだけど、うちはお肉食べていいからっていうことをやっぱ言わないといけなくて、その主張することは僕は全然いいと思うんですけど、僕はやっぱりそのお店の前にその直接的な購買を削ぐような形での抗議の仕方がやっぱ良くないって僕は思います。」
今井「多分あの好きじゃないってことですよね、多分ね。 良くない。どうですか。」
田村「えっと、好きじゃないっていうのは。今井さんのことがですか。」
今井「なんかあの、ま、いいことだとは思わないっていうことですよね。そうですか。残念ですけれど。」
市原「自分なんかそういうやりかたをすると、ヘイトを集めないのかなっての本当に素朴に心配なんですよ。実際、ツイッターにもあのデモを見て肉を食べます肉を食べますに〇〇〇ついてるのを見たんですけども、なんか逆にその反感を買わないのかなっていうのは、素朴にあのいろんな 美術館の名画にあのトマトスープぶっかけている団体の活動とか見ても、すごくあの素朴に疑問だったんですけども、その あたりはどう…」
今井「もちろんそういう方たちが多いのは今の現状の日本ではわかってるんですけれども、ツイッターでのそういう意見ですとか、あとティックトックですね。ティックトックでのそういうコメントはそういう 発言が多いんですよ。でも、あのえっとですね、社会学者の方とかも言ってたんですけど、 民主、民主的なそういうあの多数決とかそういうのって民度によってでたらめになることも すごくあるっていうことが言われてるんですね。」
田淵「自分たちは民度高いっていうこと。」
今井「いえいえ、そうじゃなくて、わざわざそこに突っかからなくてもいいんですけど。ツイッターとかあのティックトックとかは、あのインスタグラムとはちょっと違うんですよね。それわかりませんか。」
田村「いやわかんない。僕はめちゃめちゃ フラットに見てるんで。ツイッターがどうとかティックトックがそうとかは僕は思ってないので。」
今井「私たちいくつものアカウントがあって、その中での反応が違うなっていうのを見てるんですね。で、その考え方が 考え方が育たない理由の一つには、その事実がわからないままでいるのに発言しているということがあるんですよ。なのでこれもエデュケーションの一つだなと思うんです。」
田村「でも結果今の方法だと、えっと僕は少なくとも今井さんの考えに同調しようと思えないし、思わないし。これってあの同じような考えの方を増やしたいときに逆効果だと思わない。」
佐々木「いやそんなこと言っても敦さん、きっとね、民度の低い頭の悪いやつだと思われるだけですよ。 」
田村「全然頭悪くてもいいんだけど、頭の悪い人たちも含めて分かりやすい言葉を用いるように話さないと、せっかくの今井さんの主張が無駄になると 思うんですよね。人間は知性があるんだって言うんだったら、その知性を民度が高くて知性が高い今井さんはもっと効果的な方法を見出して行動に移さない限りは、 せっかくのその自分の主義主張がなんかマイナスに捉えられると思いますので、僕は。」
平石「ですからコミュニケーションのありようとして、今の形だと伝わらないかもしれないという懸念をまあみんなで質問したっていう風に受け止めていただけるとありがたいと思います。」
田淵「動物を弱者にして自分たちを倫理的に高みにおいて、人間同士の民度って言葉が出たように、人間同士のこういう関係性において高みに立って断罪しようとしてるように僕には思えます。」
今井「人間の、日本のっていうことですね。えっとですね…」
田淵「日本の民度がまた低いって言ってますよ。」
今井「いやまあ実際そういう部分はありますよ。どこのどういう切り口によって見るかによって違ってくるので」
田淵「だからいいんだけど…」
今井「いちいちそこで言われるとまた議論が扇状っていうのが出てくると思いますので…」
【概 要】
①非ヴィーガンの参加者達は、反感を招きがちで効果的ではないというピータの主張方法を批判。
②今井氏は、反感の原因は日本人の民度の低さであり、啓蒙活動によって解決すべき問題だと主張。
【問題点】
①「ピータのキャンペーンによって不快になる人の感情を理解すべきだ」という主張による「虐待される動物の感情を理解すべきだ」という主張への平石氏の反論は、発言内容の問題を発言者の態度の問題に還元する論点のすり替えであり、これは相手を攻撃するためによく用いられる論法であるが、これによって「虐待される動物の感情を理解すべきだ」という主張を否定したことにはならない。また、平石氏の主張は、虐待される動物の感情とピータのキャンペーンに不快感を感じる人の感情を同列に並べることを前提に成立しているが、動物の感情は通常ほとんど無視されているのに対して、ピータのキャンペーンによって不快にされる人々の感情は通常ほとんど配慮され守られており、両者の置かれている状況は全く異なるので、両者を同列に並べる前提自体が間違っている。両者の置かれている状況が等しければこの理屈は通るが、現実に存在する状況の差を無視して同列で議論することは詭弁以外のなにものでもない。
②市原氏は、ピータの主張方法が悪いイメージを生みだしているのを心配していると言っているが、改善方法の提案は一切なく、批判に終始している。また、この後の「日本人は民度が低いので、啓蒙する必要がある」という今井氏の発言が非ヴィーガンの参加者たちの感情的な反発を誘発しているように思われるが、この発言は市原氏の発言にむしろ起因している。なぜなら、市原氏の「自分なんかそういうやりかたをすると、ヘイトを集めないのかなっての本当に素朴に心配なんですよ。」という発言は、「ピータの活動が人々の反感を招いている」ということを意味しており、その原因説明として「民度が低いため」という一般論を誘発することになったからある。
③今井氏は「頭が悪い」という表現を全く使用していないにもかかわらず、佐々木氏は、「民度が低い頭が悪いやつ」と今井氏の言葉を曲解しているが、そもそも「頭の良い人は民度が高い」とは言えないことから分かるように、「頭が良い」ことと「民度が高い」ことの間には相関関係はない。したがって、両者が関連するかのような表現を恣意的に用いた佐々木氏は、非常に感情的になっていると言える。
④田村氏は、ピータの主張方法がマイナスに捉えられ逆効果であると批判し、せっかくのピータの主張が無駄になるので、主張を広めるためには主張方法を見直すべきだと一見ピータの活動に共感するような姿勢を見せてはいるが、改善方法を提案することは全くなく、批判に終始している。そして、「民度が高くて知性が高い今井さんはもっと効果的な方法を見出して行動に移さない限りは、せっかくのその自分の主義主張がなんかマイナスに捉えられる」という田村氏の発言は、パラフレーズすると、「もし民度が高くて知性が高いなら、今井さんは効果的な方法を見出して行動に移せるだろう。そうしないなら今井さんの主義主張はマイナスに捉えられるだろう。」であるが、これは現実仮想表現であり、実際には「効果的な方法を見出して行動に移せていないため、今井さんの主義主張はマイナスに捉えられている」ので、「今井さんは民度が高くて知性があるとは言えない」と田村氏は主張していることになる。したがって、「民度が高くて知性が高い」という形容は皮肉以外のなにものでもない。
⑤平石氏は、「今井氏の発言に対する批判は、ピータの努力が実らないのを懸念して行ったものである」と受け止めるように促しているが、ここで平石は「懸念」という言葉を用いている。この言葉は「心配」とは異なり、公の場で、人に伝えることを主な目的としている言葉で、自分とは無関係な「他人事」に対して使用される言葉である。つまり、一見、ピータに対する自分たちの批判は親切心からの行為であるという歩み寄りの姿勢を見せてはいるが、それは見せかけであり、飽くまでも他人事にしか過ぎないということを示唆している。
⑥田淵氏は、論点のすり替えを行うことによって、ヴィーガン自体を感情的に非難している。
【分 析】
①詭弁を弄してまで議論に勝とうとする平石氏は、自己保身や支配欲が強いと同時に、自信がなく、不安や恐怖を感じていることが分かるが、この詭弁は非ヴィーガン参加者の多くに共通していると思われる。
②今井氏は、社会学者の民度に関する十分な説明を怠ったため、非ヴィーガン参加者の反発をエスカレートさせることとなった。
③「ヴィーガンに対して反感を感じる人々は民度が低い」という今井氏の発言を根拠に「民度が低い」という言葉を「頭が悪い」という暴言と理解した佐々木氏は、ヴィーガンである今井氏に自分が反感を抱いているということを自ら暴露している。
④田村氏は皮肉という表現方法を用いることによって、今井氏に対して反感をぶつけているが、討論その3で見たように、そもそも田村氏は「田村家の食育の話であって、誰かから食べることについて他人に教わりたくない」と述べており、何を食べるかは個人の自由であり、他人から口出しされたくないと思っている田村氏が反感を感じないような「もっと効果的な方法」を今井氏が見つけて行動することはどう考えても不可能である。つまり、田村氏に反感を感じさせないような主張方法を今井氏は決して見いだせないということを考えると、田村氏の発言は全く実現不可能なことを今井氏に要求しているわけで、問題の核心はやはり主張方法ではなく主張内容であると言わざるをえない。
⑤平石氏は、今井氏に対する批判が親切心からの行為であるかのように見せかけようとしているが、そもそも参加者の仲裁をする必要のない司会者が仲裁をして議論をまとめようとするのは、非ヴィーガンの「みんな」による批判に正当性を付与しようという意図があるからである。
⑥ヴィーガンが肉食者を断罪しているのではなく、ヴィーガンに断罪されているように感じている田淵氏自身に原因がある。つまり、これは肉食している自分が批判を受けることの正当性を自分自身理解しているということを証明している。なぜなら、人間以外の動物が肉食することが全く問題にならないのは、彼らは殺生をなんとも思っていないからで、もし人間(田淵氏)も、人間以外の動物同様、動物の殺生をなんとも思わないなら、その人間(田淵氏)は肉食を批判されてもなんとも思わないはずである。田淵氏は動物の殺生を悪だと感じているからこそ肉食を批判されることに感情的な反発を感じざるをえないのである。要するに、動物の殺生に対する罪悪感を常日頃から無意識に感じており、意識下に抑圧している罪悪感がヴィーガンによって呼び覚まされるため、人々はヴィーガンの肉食批判に反感を感じるのである。
【追 記】
市原氏の発言に一部聞き取れない箇所がありました。ご指摘いただけると幸いです。
