<討論その3>

参加者:今井氏、田村氏

 

⑶6:30~7:54

田村「そうそうその境界線すごく大事で、その動物の話に来てるんですってのはよく わかりました。で、僕はさっき搾取あなたはしてるじゃないかって…」

 

今井「いえいえ、搾取してるんじゃないかって言ってません。」

 

田村「でもお肉食べて生きてるんで、そそちらの理論で言う搾取をしてる側の人間だと思うんですけど、僕はありがたいことに、うちの両親が命をいただくときに、感謝の気持ちを込めて手を合わせて『いただきますと言っていただきなさい。』って言って、僕はそういう気持ちで命をいただいています。それを娘にも教えています。で、これは僕の田村家の食育の話であって、誰かから食べることについて他人に教わりたくないというのが僕の意見なんですね。」

 

今井「えーっと、教わりたくないですか。」

 

田村「教わりたくないです。自分が学びたいと思えば学びに行くんですけど。あのような形で、街でああいう形で、僕は教わりたくないです。だってこれはあなたたちが主張したいのと同じように、僕が学びたくないっていうのも認めてもらわないと、これイーブンじゃないですか。」

 

今井「それはわかるんですけれども、でも私たちにも活動する、 なんて言うんでしょう、自由はありますよね。」

 

田村「だから、無視する自由も欲しいってことです。」

 

今井「はい、だから無視したかったらしていただいても大丈夫なんですよ。私たちは響く人に、あの響かせるためにやっていて…」


【概 要】

①討論その3は討論その2によって中断された討論その1の続きである。

 

②田村氏は自由を尊重すべきという立場からヴィーガンの考え方を無視する行為の正当性を主張(ヴィーガンの正当性に対する消極的反論)

 

【問題点】

 ①田村氏は、討論その1での「ヴィーガンの正当性の根拠」についての自身の質問に対する今井氏の「搾取をできるだけ無くす活動」という返答を非ヴィーガンの自分に対する批判と受け止める。そして、「そちらの理論で言う搾取をしてる側の人間」という表現から分かるように、今氏氏との対峙関係を積極的に表し、自分の理論では非ヴィーガンの自分は搾取していないと反論することにより、今井氏の「搾取をできるだけ無くす活動は倫理的だと思わないか。」という質問への返答を回避している。

 

 ②田村氏は、自由を尊重するという立場をとって、「相手の意見に耳を傾ける気はない」という非建設的意見を主張しているが、「他人が自分と異なる意見を主張するのは自由であるが、他人の意見を無視するのも自由である。」という田村氏の自由論は、自分の立場の正当性を根拠づけるために相手の立場の正当性をも許容するという便宜的な自論の正当化であり、自論の正当性を保証するものではない。自分の意見を互いに主張しあう自由は議論上合理的だが、相手の意見を無視する自由は建設的議論を構築すべき場面では容認されない。なぜなら、この自由の容認は議論そのものの否定になる。そもそも他者の意見を無視するという姿勢で議論に臨む相手との議論は成立しえないからである。

 

 ③田村氏は、ヴィーガンの主張を無視する理由を、「誰かから食べることについて他人に教わりたくない」とまず述べた直後に、「あのような形で、街でああいう形で、僕は教わりたくない」と言い換えており、首尾一貫性を欠いている。

 

 ④今井氏も、自分たちの意見を無視することを田村氏に許容し、建設的議論の決裂を示唆する感情的な反応をしている。

 

 ⑤司会者の平石氏は、非建設的な発言の応酬を黙認している。

 

【分 析】

 「ヴィーガンの活動は搾取をできるだけ無くす活動」という今井氏の説明を正確に理解するならば、「できるだけ無くす」は「完全に無くす」という意味ではなく、ヴィーガン自身もわずかながら搾取していることを含意していることが分かる。したがって、田村氏が考える「ヴィーガンは搾取しない側で、非ヴィーガンは搾取する側」というような二項対立は成立しえない。つまり、田村氏は今井氏の発言を論理的に正確に理解せずに曲解したのである。また、相手との対峙関係を積極的に表そうとする「そちら」という田村氏の表現にも表れているように、田村氏は非常に感情的になったために論理的に正しい判断が出来なくなったとも考えられるが、意図的に対立する立場を選択しているようにも考えられる。

 

【追 記】

 

 討論その3の分析も討論全体を分析した上で行っています。また、討論のスクリプトに誤りがある場合はご指摘願います。