<討論その2>
参加者:今井氏、田淵氏
⑵5:30~6:30
今井「それはちょっとテーマがまた違うと思うんですけど。」
田淵「でも命じゃないですか。」
今井「命をそうやって、あの、野菜も 生きているとか、人間もそうですけど…」
田淵「お腹の中にいる受精卵なのか胎児なのかそれはですけど…」
今井「でも、私今日はここには動物のことを話しに来てるので…」
田淵「いや、でも、命を大事にしようとして、だから動物なんですよね。」
今井「まず、動物ですね、今。」
田淵「あ、人間より動物が大事ですか。」
今井「そうではなくて社会で一番の弱者が動物だからですね。」
田淵「人間より動物が大事。」
今井「あ、いや、そうではなくて、社会で一番の弱者がどこにいるかって考えたとき、動物ですよね。」
田淵「ミミズは動物ですか。」
今井「動物ですね。昆虫だけど動物の方にちょっと 近いですよね。」
田淵「じゃあどこから境界線になります。」
【概 要】
田淵氏は動物愛護の正当性に疑義を呈する
(命の搾取に抗議するヴィーガンの正当性に対する反論)
田淵氏の議論の論理は以下のように分析される
三段論法①
【小前提①】ピータの動物愛護の根拠は生命の尊重である。
【結 論①】ピータの活動は生命の尊重をその根拠としている。
『動物の権利を守るためにヴィーガンになろう』というスローガンから分かるように、大前提①は妥当であるが、ピータの活動は「生命の搾取」に対する抗議活動だけではなく、「生き方の搾取」や「自由の搾取」に対する抗議活動であるとも今井氏は述べているので、小前提①は田淵氏が独自の議論展開に誘導しやすいように単純化した前提である。したがって、三段論法①自体は成立しているが、結論①は飛躍した結論となり、不当な結論である。
三段論法②
【大前提②】ピータの活動の根拠は生命の尊重である。
【小前提②】ピータは動物の生命は尊重するが、動物以外の生命は尊重しない。
【結 論②】ピータは尊重すべき生命と尊重する必要のない生命を区別する基準を明
確にすべきである。
三段論法②は三段論法①で導かれた恣意的な結論①を大前提にしているので、そもそもこの三段論法自体が意味を成さないが、小前提②でも、生命という概念を定義せず、生命の価値や種の違いを無視して曖昧なまま用いているため、結論②が導かれることとなる。ここでは田淵氏ははっきりとは述べていないが、ミミズを例に動物と非動物(動物ではない生き物)の間の境界線について問うことを通じて、動物の生命のみを尊重しようとするピータの考え方の不当性を指摘しようと考えていると推測される。
【問題点】
①田淵氏は、相手の主張を恣意的に単純化することによって自分の論理に合致するように議論の焦点を誘導しようとしており、相手の主張を正しく理解しようとはせず、相手を論破することのみを意図した非建設的議論に終始している。
②単純化による恣意的な誘導や揚げ足取りがなされているにもかかわらず、司会進行役の平石氏は軌道修正を行わなかった。
【分 析】
田淵氏は自分の基準による相手の批判に終始しており、相手の主張を全く理解しようとはせず、かたくなに相手の主張のあら捜しをし続けた。しかも平石氏がこのような田淵氏の発言を容認したため、議論は建設的なものにならなかった。今井氏は田淵氏の誘導に抵抗したが、発言内容も発言態度も節度あるものだったので、これらは攻撃的な態度をとる理由にはならない。現時点では、これもまた、ピータの抗議行動、あるいはヴィーガンの思想、ヴィーガニズムそのものがその理由であると考えられる。
【追 記】
討論その2の分析も討論全体を分析した上で行っています。また、討論のスクリプトに誤りがある場合はご指摘願います。
