森遊のブログへ ようこそ
初めてご訪問してくれた方
プロフィールはこちらです
アメブロに書く前の日記は
エンピツ 始まりの日記
PC用画面です
2024年1月20日(土)
前期ドラマでお気に入りだった「セクシー田中さん」の中に、心にささる名言があった。
(ドラマは終わったけどリンクしてます)
原作は漫画です
勤め先では地味な田中さんだけれど、ベリーダンスに夢中になり自己解放する話です。
そのドラマの中で、田中さんを大好きな「倉橋さん」が言った言葉
「一つ一つは子細だけど、集めると生きる理由になります」
たとえば、「綺麗なスカーフを見つけて買った」「誰かに言われた言葉がとっても嬉しかった」等々、日々の中で嬉しかった事柄を集めたら、ひとつひとつは小さな事でも、1日に集めた「うれしいこと」が集約されると、幸せが満ち満ちて、生きる理由になる…と理解したよ
でさ~
昨日の私の幸せだった事柄
まあ、いつも通り引きこもりで、メールボックスへ手紙チェックしただけで、あとは部屋の中でダラダラしていたんだけどね
・十数通しか来ていなかった年賀状なのに、記念切手が当たった!
・寝る前に観た羽生くんの最新録画(RE_PRAY_佐賀公演)に感動した(何度も観てるけど、観るたびに感動~ 羽生くんは私の精神安定剤)
・高校の同級生からのラインで、めっちゃ想い出に浸れた!
同級生からのライン
この頃、私が親しくしていた同窓生達の訃報が多いので、ちょっとビビった
地元で暮らしている同窓生っていいね
還暦過ぎても、仲良く飲めるんだね
で、
酒のつまみに
私の話を
してるってか
Sくん、私のファンだったのか
当時、私は家事手伝い(喫茶店のねーちゃん)をしていた。時間的に余裕があったし、将来に希望もなかった時期です。同級生からのお呼びがあれば、飲み会にも気軽に参上していたよ。
いや~
いやや~!
そんな、自分の人生史上最も綺麗だった頃の姿しか知らない人と、40年以上経った現在、会えるワケないよな
この「楽しみにしてる」と言ってるSくんは、私が小学生からの幼なじみ。祖父が将棋好きで「子ども将棋教室」を自宅で開いていた。その時に、せっせと通ってきていた1人なの。
めちゃくちゃ頭が良くて、将棋もすごく強かった。あの時わたしゃ、「将棋は知能指数が高い人が勝ちだな」と実感したよ。一緒に将棋教室に来ていた同級生がいて、その子の方が将棋に対して(私から見たら)一生懸命だった。でも、残念ながら、頭が良いS君が連勝していた。
S君は、高校はこの地で最も難関校を受験して、当然合格したよ。中島みゆきさんや、吉田美和さんがいた高校だよ。
当時、うちの中学は6クラスあったけど、多分ベスト3に入るくらいの成績だったよ。(そのベスト3のうちの1人は、どうしようもなく性格が悪くて、周りの人をあからさまに下に見てる男子だった。小学生の頃にあいつのターゲットにされて、数え切れないくらいスカートめくりされた事を未だに根に持ってる←いつも通り、話が飛んだ)
S君とは中学生の頃に同じクラスになった事がない。「子ども将棋教室」にS君が通っていた頃は、私が家に帰ると、S君や他の同級生の男子が将棋盤に向かって戦ってて、「おかえり」と言われたよ。
だから、S君のことも大人になっても「下の名前呼び」していた。
「ゆうちゃん」って呼んでた…
そして現在
私も「ゆうちゃん」です
このラインをくれた男性は、高校の同窓会幹事のひとり。この男性とも、結婚前に何度か飲み会に行った事があるよ。とにかく、「呼ばれたら断らないスタンス」だったから。
絶対に
同窓会に
出られなく
なったやん!
S君の持っている
私へのイメージを
壊しちゃ悪い!
しっかし
男ってロマンチストだよね?
64歳のBBAが、昔(当時22歳)と同じくらい綺麗なわけないだろーーーーー!
スマホアプリとか使って、若い頃の写真を取り込んで、現在の姿を見てくれよう
わたし、このラインをした後で、洗面所の鏡で自分の姿を見て「ごめんなさい、もうお見せできない。あなたの想い出の中のわたしは、綺麗なままでいてほしい」と心から思った
でもさ
血の繋がらない方の想い出の中に、こんな自分が存在してくれていたのは、とっても嬉しい事です。
年賀状の記念切手が当たって、羽生くんの最新アイスストーリーで羽生くんが何度も「幸せ」と言ってくれて、幼なじみの同級生に「ファンだった」と言われた
めっちゃ素敵な日でした!
じゃあまたね
楽天市場買い物一覧