こんにちは。
ご無沙汰の投稿になります。
意外と毎日が立て込んでおり、心身ともに疲弊しておりました。
近況報告はこの程度にしておくこととして・・・
今回は「出羽守(でわのかみ)」について書きます。
出羽守とは、原義としましては、現在の山形や秋田のあたりの旧国名である「出羽国」がまだ存在していた頃、その国に赴任した国司(長官)のことを指します。
ただ、この「でわ」という読みが由来となり、現在ではスラングとして、「海外では」や「他の○○では」など、他を引き合いに出しては、日本やその他身内のものに対して嘆くという意味で使われます。「守」という字からは、何やら偉そうなニュアンスも含んでいるという皮肉さが垣間見えます。
というわけで、本題ですが、こういう人はかなり多いような気がします。日本の政策や取組、活動、文化に対し、何かと難癖を付けては、海外の優勢さを主張する人。自分たちの仕事と他の仕事を比較して、あれこれと不満を言う人。
ですが、こういう主張は、専門家による比較研究レベルであれば、別論ですが、素人レベルであれば、バイアスがかかった前提でのただのないものねだりでしかない気がします。
そもそも比較するというのはなかなか簡単なことではなく、殊に社会科学の面ではその比較対象の選定、条件、結果というのは、一筋縄ではいかないと考えています。
小学校の理科の実験時に耳にした言葉で「対照実験」というものがあるかと思いますが、これは、ある要素の影響が結果を分かれさせるかを証明するために、その要素以外のものを全て同じにして、結果に差異があれば、その要素こそが結果を左右したということを証明するものです。しかし、理科のような「自然科学」とは異なり、社会科学での対照実験というのは、そもそも他の全ての条件を同じにするという素地設定自体が難しいわけです。そのため、「海外では○○だから、そうではない日本はよくない」という主張は、それぞれ内容をしっかり検討してみないと、日本にそれを適用したからうまくいくというわけでもありません。もちろん、「他業界では」というものを我が業界に適用したからといってもうまくいくわけではありません。
そこで、身近に「出羽守」が出現した際の対応方法としては、まずはただ聞き流すのではなく、いったんその事実関係を確かめてみることが大切です。そもそもその守のでっちあげ主張かもしれませんし、確かに事実であるかもしれません。
その次に、それが事実であるとすれば、海外や他業界でなぜそれがうまくいっているのか、採用の経緯、変遷などを確認する必要があります。例えば、キリスト教の文化が根付いているから適応できている政策であれば、キリスト教が主流とはいえない日本において、それを適応してもうまくいくとは限らないわけです。
以上のような整理は、ただ読んでいるだけだと「そんなの分かってますよ」というものですが、いざ自分がその作業をするとなると、調査したり、情報収集したりするのが面倒くさく、結果として、簡単で分かりやすい主張に流されてしまいます。また、そこにある程度の肩書がある「コメンテーター」がテレビの中で比較提示すると、もはや推測レベルのことであっても「既成事実化」してしまうわけです。
忙しい世の中、今から改めて各国、各業界の成り立ち等を自分で分析して、出羽守に対抗するというのは結構骨が折れますので、せめて、その「では」を鵜呑みにするのではなく、本当にそうだと言える証明があるのかを確認する姿勢は必要だと思います。