ご無沙汰しております。
今回は「公衆浴場の行方」についてまとめます。
トランスジェンダーが戸籍上の性別を変えるために、生殖能力を失わせる手術を必要とする「性同一性障害特例法」の要件が、憲法に違反するかどうかが問われた家事審判で、2023年10月25日、最高裁が特例法3条1項4号の要件(いわゆる「4号要件」)を違憲とする決定をしました。
同法に規定された要件について最高裁は、「強度の身体的侵襲である手術を受けるか、性自認に従った法令上の取り扱いを受ける重要な法的利益を放棄するという、過酷な二者択一を迫っている」と指摘するとともに、特例法制定以降の社会の変化や、医学的知見の発展等も踏まえ、同要件が憲法13条に違反して無効と述べました。
この決定の主眼となるところは、トランスジェンダーが戸籍上の性別と性の自認との不一致によって、本来、この国にいれば認められるべき法益が侵害されたり、制限されたりしないようにすることにあります。
そのため、手術をしなくても戸籍上の性別を変更することができるようになり、それによって法的に婚姻も可能になるというのは、当事者にとっても良い結果となり、トランスジェンダーでない人にとってもそれ自体で不利益が生じるとは言えません。
一方で、この決定の前後には、トランスジェンダーではないであろう方々のいろいろな意見が飛び交っており、特によく出ていた意見は、公衆浴場と公衆トイレの取扱いでした。この取扱いに関する問題は、メディアでも取り上げられ、最高裁決定後は、裁判所の意見とともに紹介もされていましたが、この点はもう少しメディアも根底にある問題に触れていくべきなのではないかと思いました。
最高裁の判決や決定は全文を紐解くと確かに長く、さらには、個別意見も付されることから、なかなか放送の枠内で全てを詳らかにすることは難しいのかもしれませんが、結局のところ、視聴者にとって分かりやすい部分や結論部分だけを取り上げると、そこだけが独り歩きしてしまうとともに、特にSNSが普及した今の時代、一部のコメントや報道だけがフォーカスされ、情報はより偏り、場合によっては発言者が発信したかったこととは反対の意味で流布されることさえあり得ます。
そうしたことも踏まえると、あの決定前後のメディアの在り方は、結局問題の本質はどこなのか、本当に公衆浴場や公衆トイレに関する懸念と直結するものなのかというところにほとんど触れ切れてなかったように思います。
そこで、今回は、一応最高裁決定を個別意見も含めて最後まで目を通した者として、ある程度長くはなりますが、思うところを記そうと思います。
まず、本決定の意義は、体と心の性が一致しないトランスジェンダーの方が、その不一致によって本来受けられるべき法益を受けられなくなるという事態を回避するために、わざわざ手術等で体を侵襲してまで心に一致させないといけない義務がなくなったことにあります。そのため、今回扱っていく公衆浴場や公衆トイレに「男性器がある心が女性の男性」が入ってきたらどうなるのかという議論とは別の俎上の話で始まっています
しかしながら、実際問題として、手術をしないことによって、「男性器がある心が女性の男性」(又はその逆)が公衆浴場や公衆トイレにいきなり入ってきたら、「え?」ってなるのは当然だと思います。社会の理解が進んでいるとはいえ、それは飽くまでも一般論的なところがあり、例えば更衣室で偶然出くわしてそのまま受け入れられる人がどれだけいるか・・・という話です。
また、こうした懸念に対する反論として、よくメディアでも取り上げられていたのが「心が女性の男性が女湯に入ってくることはない」というような、そもそもそうした懸念自体が杞憂であるとする論調です。しかし、そんなもの統計を取ったわけでもないのになぜ言い切れるのかと私自身も疑問に思っていました。
すると、その論調が杞憂ではなかったことを示す事案が11月13日に起きました。三重県桑名市の温泉施設で女湯に侵入し、建造物侵入の疑いで男が逮捕されたというものであり、同男は調べに対し、「心は女性なのに、なぜ女子風呂に入ってはいけないのか、全く理解できない」などと述べていたとのことです。
こうした問題児が出てくることは想像に難くありませんでしたが、こうした結果が早速現れたのは、この最高裁決定が出たからというよりも、この決定に関する詳細な部分を正しく発信できていなかったことにあるのではないかと思います。
最高裁は、この決定の中で結論こそ4号要件を違憲としましたが、その本文内の理由や個別意見の中で、公衆浴場や公衆トイレで生じうる懸念にも触れていました。その上で、最高裁判事三浦裁判官は、今回は差し戻しとなった5号要件に関する意見の中で、「…公衆浴場等については、一般に、法律に基づく事業者の措置により、男女別に浴室の区分が行われている。このうち、公衆浴場については、浴場業を営む者は、入浴者の衛生及び風紀に必要な措置を講じなければならないものとされ、上記措置の基準については都道府県等が条例で定め…この基準は、厚生労働大臣の技術的な助言…を受け、…これらを踏まえ、浴場業を営む者の措置により、浴室が男女別に分けられている。…このような浴室の区分は、風紀を維持し、利用者が羞恥を感じることなく安心して利用できる環境を確保するものと解される…。実際の利用においては、通常、各利用者について証明文書等により法的性別が確認されることはなく、利用者が互いに他の利用者の外性器に係る部分を含む身体的な外観を認識できることを前提にして、性別に係る身体的な外観の特徴に基づいて男女の区分がされているということができる。 事業者が営む施設について不特定多数人が裸になって利用するという公衆浴場等の性質に照らし、このような身体的な外観に基づく男女の区分には相当な理由がある。厚生労働大臣の技術的助言やこれを踏まえた条例の基準も同様の意味に解され…、上記男女の区分は、法律に基づく事業者の措置という形で社 会生活上の規範を構成しているとみることができる。」と述べている。
つまり、性別変更に手術がいるかどうかとは別問題として、公衆浴場については、その入浴の区別を身体的な特徴をもって行うこととし、最高裁はそうした区別すらも違憲と言っているのではなく、むしろそうした社会規範が存在していると認めています。
ですので、「男性器がある心が女性の男性」が女湯に入ってきたからと言って、そこの判断は公衆浴場が行う区別とは別問題なので、入っていいということにはなりません。単に「女性だ」「男性だ」と自称するだけで入浴が認められるわけではないということです。
また、公衆トイレについてはさらにこの決定を直接起因とした害が生じないと言えます。というのも、そもそもトイレは素っ裸でウロウロすることを想定しておらず、「男性器がある心が女性の男性」が女子トイレに入ったとして、直ちにどのような問題が発生するのかということを考えてみるべきです。そもそも男性器を露出して女子トイレに入ってきたのであれば、それは、公然わいせつです。女子トイレで露出したから公然わいせつなのではなく、男子トイレで男性が同じことをしても成立します。つまり、手術要件がどうとかとは別論であり、そもそも犯罪です。また、そうした異常事態がないとなれば、(特に女子トイレは)そもそも個室であり、今個室に入った人が、心も体も女性なのか、男性器がある心が女性の男性なのか判断しようもありません。もっとも、これに対し、男子トイレについては小便器がオープンに設置されているのが一般的なので、この在り方は再検討される余地はあります。
つまり、今回の決定は、確かに公衆浴場や公衆トイレという問題と関連はあるものの、手術を要件とするかどうかの問題とは直結してはおらず、先に紹介した11月13日のような事例は、基準となっている法令が異なるので、これまでどおり「アウト」として処理されます。しかし、こうしたところまで触れていたメディアはどれだけあったでしょうか。結論や話題になりそうなところだけ取り上げて本質や実務上の問題には触れないあたりは、分かりやすさを重視したあえての報道なのか、編集者の理解が弱いのか…気になるところです。
ところで、この決定には、正直、物足りなさを感じるところと、今後への懸念が見て取れました。まず、物足りなさを感じた点としては、性犯罪に対する考慮の少なさです。海外の動向や人権条約、生殖機能に対する身体的な問題点については、多角的な視点から述べられていたものの、「男性器がある心が女性の男性」(又はその逆)を起因とした性犯罪のリスクについてはあまり検討がなされていません。もちろん、手術要件の無効化によって、性犯罪の適用範囲が狭まったわけではないので、あえて補足意見も深く触れなかったのかもしれませんが、従前から公衆浴場や公衆トイレの問題と密接に議論されてきたわけですから、性犯罪を助長するわけではないということを積極的に発信するためにももう少し触れるべきではなかったかと思います。
また、今後の懸念としては、「社会の変化」というワードです。この決定で違憲判決が出たのも、まさに社会の変化が影響していたと言えます。性的少数者に対する社会の理解が進んだことがこの結果をもたらしたと評価できると思います。しかしながら、間違った方向で性的少数者擁護の運動が進むと、例えば今は合理的区別とされている公衆浴場等の利用の区別基準もいつか「社会の変化」によって違憲とされかねないような気もします。
単に大きな声で言えば通るのではなく、どんな基準も一定の議論のもとでできたものですので、なぜ当時これが認められていたのだろう、なぜ今議論になっているのだろうと、自分自身で考えることが大切なのかなと思います。
今後、公衆浴場や公衆トイレをめぐってどのようになっていくか、注視していきたいと思います。