立春
この日を境に残寒である。
餅を食べる風習がある。餅はハレの食べ物で
あるから一体何のためか。
勝手な思いであるが、農作業の準備のために
気合入れていこう、というわけでとりあえず
腹ごしらえのために食する。また、縁起物で
もあり、豊作を願う。
合ってるかどうか知らんけどこんなとこだろ
う。
新しくつくわけではない。正月の余りもの、
というかこの日のため残しておく。
東の角餅西の丸餅という。
うちでは菱餅以外はすべて丸餅である。
東ではあんこをまぶして食べるが、西では
まんじゅうのように餅の中にあんこを入れ
る。硬くなったら食べられないじゃないか
と思われるかもしれないが焼くのだ。
あんこは餅の中に密閉されており、また
砂糖たっぷりなので腐らない。
餅の表面が多少かびることがあるが、前回
の記事と同様、キーワードは「死にゃせん」。
水で洗うなり削り落とせばいいだけの話だ。
縄文人の血を色濃く残す弥生人で山岳民族で
もある我が家は山に入るときには餅を持参す
ろ。今どきの登山家がチョコレートとチーズ
を持っていくように。
非常食、携帯食といった餅の性格のひとつ。
驚いたのは友人の家で食されている餅カレー。
ライスでもなければナンでもない、なさそう
であった斬新で驚愕の食べ物。異文化の融合。
福神漬はつけないそうだ。
福は内
節分。豆まき。
煎った大豆を家のあっちこっちに撒く。
御前、座敷、納戸、食堂(「じきど」といって
いたが「じきどう」のことだろう)と順番に
撒く。
最近では大豆の代わりに落花生を撒く家がある
という。撒いた後に殻を剥いて食べられるよう
に、だそうだ。
えー、うちじゃ畳の上に撒いた大豆をそのまま
食べていたぞ。
キーワードは「死にゃせん」。
縁起物だというわけではなく、多少不潔だろう
がその程度で死ぬわけないという親の教え。
だいたい昨今は清潔すぎる。過度の除菌や洗浄
はかえって雑菌に対する耐性を弱めることにな
ってはいまいか。高温多湿のインドでは素手の
右手でご飯を食べ、左手で用の始末をする。
手を機能的に使い分け、小の不潔は雑菌を体内
に取り込み耐性を作り、大の不潔は危険性の高
い菌を排除する。その土地に生きる人たちの知
恵だろう。
しかし、最近では東京でも売っているまんじゅ
うアイスというのがあるが、昔はバーのささり
具合がいびつで上手に食べないと身が落ちてし
まう。落とすと三千世界も終わりかという深い
悲しみにおそわれる。洗って食べようとするが
水温が高いため、極めて歩留まりが悪い。
いっそ、土、砂利といっしょに食べてしまおう
かと思わないでもないが、そうはしない。
落としたアイスを拾ってそのまま食べたといえ
ば近所、友達の覚えがめでたくない。
泣く泣く蟻がたかるのを見つめる。
そして、万物の霊長は次から皿を添えるように
なった。
2月2日
二月に入った。
もうあれからひと月も経った。
あれからとは正月。
正月には恒例行事がある。
恒例というかひまでしょうがないので観る。
ウィーンフィル ニューイヤーコンサート
毎年ひまなのだ。毎年観る。
知っている曲は美しく青きドナウ、ラデツキー行進曲
くらい。
3時間もやるので酒でも飲みながら、暮れに漬けた
松前漬をつまみにトロトロと、たぶん半分は寝ている。
ヨハン・シュトラウスの曲が主だ。
ヨハン・シュトラウスは二人いる。パパとせがれ。
ラデツキー行進曲はパパで、美しく青きドナウはせがれ
の作曲。
ややこしい。名を襲うは洋の東西を問わないようだ。
最後の曲をラデツキー行進曲で締めくくるのが慣例とな
っている。
ところが何年か前にこの慣例を破り、ラデツキー行進曲
をやらなかった指揮者がいた。
ちょっと焦った。
うたた寝をしていて聞き逃した、と思ったが解説者は
今年はやりませんでしたねぇ、なんてことをいっている
から本当にやらなかったんだ。
しょうがない。
今年は聞けたからよかった。
大寒波
九州でも雪が降るのである。
これで冬でもランニングシャツ、短パンいっちょで
蝉を捕りに行くなどの誤解はとけたのではないか。
オーストラリアじゃあるまいし。
奄美では115年ぶりに雪が降ったそうだ。
沖縄では寒さのため、魚が仮死状態になって浜辺
に打ち上げられているそうだ。
琴将菊優勝。
それよりうれしいのは新関脇嘉風の勝ち越し。
どうかひとつ、来場所も頑張っていただきたい。
残雪講
昨日の雪は東京にとっては大雪であった。
今日もまだ路肩に多くの雪が残っている。
すべって転ばぬよう注意しなければならないと思いつつ、
しかし朝の凍った雪の上を歩くのには難儀した。
SMAP解散。
別にどうでもいいと思うんだけど。
SMAPはインフラとかいう人がいるけど、じゃあ、なにかい、
道路とか水道とか電気と同じってか。
なきゃないでどうにでもなると思うのは私だけでしょうか。
読売新聞の映画評を読む。
エルトゥールル号遭難事件を扱った「海難1890」と
「杉原千畝 スギハラチウネ」。
なんか鼻につくだよね。もちろん串本の人たちも杉原も
偉いと思うけど、私は天邪鬼で、ものをはすに見るくせが
あって、すべての日本人が共有すべき「偉大なる日本人た
ち」をマスに植えつけられているような気がしてなんか嫌な
んだよね。
最近テレビでも「日本人は偉い」「日本人はすごい」的な
番組が見受けられる。番組の作り方にもよるのだろうがあま
りにも「他の追随を許さない日本人」を強調しすぎているよ
うな気がする。「優等なる日本人」なんつう考え方にならな
きゃいいけど。「優等」があれば「劣等」もある。「劣等」は
誰かを指さなければならなくなる。危険な匂いがするのは
私だけでしょうか。
雪やこんこ
いよいよ東京でも雪が降った。
雪といえる代物であるかどうか少しあやしい。
雪はうれしいものだった。
雪に滅法弱い鉄道がすぐに運休になり、学校
も休める。
平日に休むというのはちょっと背徳な気がし
て後ろめたいというか。
それでも長靴をはいて友達の家に行き、室内
サッカーなど興じたりする。
友人の家は共働きだから誰もいないのでやり
たい放題。
卵を入れた即席ラーメンがおいしかった。
悩みなどまったくない本物の子供だった高校
時代。
異性などまったく興味がなく、釣り三昧に
バイク三昧。
そして高三の夏になると、いかに自分が愚か
あったかということに気づく。
時、すでに遅し。こつこつと勉強した蟻は
現役合格、ギターを鳴らし歌を歌っていた
キリギリスは浪人を余儀なくされた。
僕たちの失敗のプロローグである。
積年の雪辱を果たせないでいる。
新年明けましておめでとうございます
まろちゃんは高塚地蔵尊へ初詣に
行きましたか。
竹の子の煮付けを至急送ってください。
玉露も一緒に送っていただければ幸い
です。
Merry Christmas
老化を感ずるひとつに涙もろくなるというのがある
ように思う。
悲しいニュースやうれしいニュースに接すると感極
まってしまう。
笹子トンネル天井板落下事故から3年目の追悼式典
での以下の弔辞は、誤解を恐れずにいうなら誠に名調
子であった。
「今でも、はっきりと覚えています。あなたが亡くな
った時、わたしは妊娠7カ月。結婚して2週間。自分
の人生で、最も幸せ絶頂期に、あなたがくれたプレゼ
ントは、あなたの死という最低なものでした。
事故から数週間後に、あなたを山梨へ迎えに行った時、
あなたと対面しました。だけど、対面したあなたは、
わたしの知っているお姉ちゃんじゃなかった。
重さ1.2トンの天井板に押しつぶされて、助けてと叫
びながら、1,000度近い炎で3時間も焼かれたあなたは、
手もなくて、足もなくて、体の中で一番堅い歯でさえ残
ってなかった。
上下分かれ、ばらばらになって、小さな炭の塊でした。
(中日本高速道路株式会社関係の弔問客へ向きを変え、)
あなたたちは、本当にわかっていますか。
あなたたち、ここにいる人たちが、1人ひとり、本当の
プロの意識がなかったゆえに、ここにいる9人は死にま
した。
自分たちで、ちゃんと危険を考えて、何千人も社員がい
るんだから、誰か1人が、「この点検方法はおかしい、
天井板が危ない」って言ってくれたら、お姉ちゃんたち
は、死なずにすみました。
あなたたちは、家に帰れば、大好きな家族に会えるかもし
れないけど、わたしたちは、自分が死ななければ、家族
に会うことができません。
あなたたちは、本当にそのことをわかっているんですか?
(祭壇に向かい、)
3年前のきょう、あなたたちは、空へ帰っていきましたが、
あなたたちが、命がけで教えてくれたことや、残してくれた
ものから、わたしたちは、それぞれ感じたり、学んだりし、
命を大切に生きていきます。
亡くなられた方は愛されながら逝き、亡くした方は無念を抱く。
嗚咽を禁じえない。
