1993年1月19日 晴れ
先週ふった雪が畑をおおって真っ白だ。これじゃ畑に入れないし野菜もとれない。今週の野菜の配達まで雪がとけてくれたらと思う。
僕の住んでいる坪沼地区は仙台市の南西部に位置し、山形へ通じる笹谷街道の宿場町でした。また古くは奥州藤原氏と密接な関係があり、中世の仙台地域の文化的、宗教的中心地である熊野神社の南西五㌔に位置する中世からのムラです。ヒメギフチョウが舞い、カワセミが飛び、百年、二百年前のかやぶき屋根の家が森の中に点在した坪沼には坪毛人、釜人、十三塚、片目のウナギを主とする神社などがあり、中世以前には産鉄民、そして縄文の息吹を感じさせ、日本の基層文化を感じさせ、よみがえさせる所です。
坪沼は今も里山に生かされています。春には山菜が採れ、夏には畑を耕し、秋にはキノコ採りやクリをひろい、そして冬には蓄えるマキをあつめに里山に行きます。坪沼にはそんな庶民の生活を長い間くりかえし、くりかえし見つめてきた民家がそのままの形でのこっていました。名取型田の字民家と呼ばれ、必要最小限だけ削られた柱を使った飾り気のない、この地域の典型的な民家です。
この百年、二百年前の庶民の家(特殊な家ではない)を見ると、先人の知恵がしみじみと伝わってくるのです。この坪沼の自然の中で、自分の畑の中のビニールハウスや電柱を見る時、なぜか心の中にひっかかるものがあったのですが、それがなぜだかわかりませんでした。二百年前に当時の先端技術で造られたであろう、かやぶきの民家と、今の技術で当たりまえに造られたビニールハウスや新建材の家と、どこにちがいを感じるのか。
しかし、この古い民家を見ていてハッと気づいたのです。それはこれらの民家は百年、二百年前に造られ百年、二百年もの間人々に生かされてきました。それと同じく現在もこの家は生きており、住む人がいなくなっても、この民家は生きつづけると感じたのです。この家を見ると、おどろくことに土と木と草とで出来ているのです。人が住まなくなっても二十年後、三十年後にはちゃんと土にかえり、森として新たな生命を再生していくのです。この家は生きていて、人が住むことによって生かされ、人が住まなくなることによってまた再生していく。大きな意味で原生林の再生を見る思いにさせられます。
そんなことを考える時、住んできた人たちの、自然との調和のとれたエコロジカルな生き方を感じるのです。しかし、こんな素晴らしい民家も百年、二百年へた最近の生活形態にはとけ込めず、取り壊しになっています。これからのエコロジカルな生き方を模索する中、この古い民家をごみとしてしまうのではなく、新たに生かすことによって僕たちに少なからぬ示唆を与え、力を与え、未来を考える機会を与えてくれるのではないでしょうか。
1993年1月23日河北新報社掲載記事より