1992年6月15日 晴れ
卵の配達の帰り道、田んぼの横で数人の人たちが上空を見上げている。何だろうと見ると、「JA」と書かれたラジコン・ヘリコプターが飛んでいた。ははー、なるほど、この間テレビのニュースでやっていた「JAは今年からヘリコプターによる農薬の空中散布をやめ、無人ヘリによる空中散布を始めました」というのはこのことだったのか、と分かったのです。
僕は田も畑も無農薬・無化学肥料で行っていたので、空散が始まった時、「お願いだからうちの田にはかからないようにしてくれ」と頼んだのです。すると、「農薬は安全だ。ただ小学校の近くなどは危険なのでラジコンヘリで空散する。あなたの近くだけラジコンヘリにすることはできない」と言われました。
それから数年。なぜ事情が変わったのか、友人に聞いてみると浄水場の近くで行った空散で騒がれたからなんだ、ということでした。こんな話をすると、町の人やサラリーマンは「なんて農家やJAはいいかげんなんだろう。空散なんて危険なものはさっさとやめてもらいたい」と思うかもしれない。でも物事はすべて相対的なものです。もっとやさしい気持ちをもって、なぜそうなっているのかな、と考えてみる必要があると思うのです。
農家の視点から見れば、まず第一に農薬を使いたくて使っているのではありません。もちろん農薬は決して安全ではないということは知っています。もし状況が許せば、わざわざ危険な物を浴びながら農薬散布などしたくないと思うのです。
では、その状況とは何でしょう。人件費が高い日本では、人手をかけて草を取ったり病気にならないような、きめ細やかな管理が経済的にできないということです。ちょっと考えてみてください。1ヘクタールの稲作の平均粗収益はコメ5.330キログラム(5.33トン)で150万円、純収益は約75万円にすぎないのです(農家の平均耕作面積は1.3ヘクタール)1ヘクタールの田を無農薬農業でするのはおじいちゃん、おばあちゃんだけではとても無理です。
ちなみに皆さんの年収は?もちろん農家にはボーナスも退職金もないし、〝会社〟(農地)の税金も払わなくてはならないんですよ。そんな収入の少ないところで農家の息子たちは働けないし、それを補うには省力化のための空散しかなかったのです。極端に言えば今、農業をしている人はそこから離れられないか、目新しいものを追い求めてばくちのような農業を続けているか、お金以外のものに価値を見いだして夢をもってやっているか、なのです。公の場で「農業はもうからないから、それ以外の生き甲斐(がい)をもっていかなければいけない」などという論旨の講演がまかり通っているのが現実なのです。
これから、地球規模で行わなくてはならない持続可能の生産(海の生態系も含めて)を行っていくには、無農薬農業でも労働を省力化できるよう農家が努力することと、消費者のそれに対する労働の適正な評価が必要になってくると思うのです。世の中、どちらかが良くて他方が悪いなんてことはないと思います。お互いに思いやり、歩み寄らなければ何も始まらないと思うのです。いつの時代でも地球を救えるのは思いやりの心、やさしい心、自然な人の心ではないでしょうか。
1992年6月27日河北新報社掲載記事より