”平和国家”はこうして生まれた | なえニャンの笑顔で♡子宮がん肉腫 トービョー日記

なえニャンの笑顔で♡子宮がん肉腫 トービョー日記

子宮がん肉腫、脊髄梗塞となり、現在経過観察中です。
これからも、人生何があるかわかりませんが、
この身に起こることはすべて受け止める!
最後はきっとHappyと信じています♡
ちょっぴりスピリチュアル。
言葉に想いをこめて・・・。
どうぞ、よろしくお願いします♪

 

昨日は憲法記念日

 

・・・と、いうことで、

考えてました。改憲のこと。

 

安陪首相が、2020年と、その発動の目標を明らかにしたことで、

国民投票で、賛成か反対か、

意志をはっきりと決める時が来るかもしれないし、

その前に、

いろんな議論がなされる過程で、それが本当のことなのか、

見極める力がないことで、揺れ動かされたくないと思いました。

 

 

でも、考えるといっても、私にはその材料がありませんあせる

今まで、なんとなく耳にしていた知識しかないのです汗sei

 

でも、録画してあったNHKの番組を見て、感じたことがあります。

 

 

『NHKスペシャル 憲法70年 ”平和国家”はこうして生まれた』

です。

 

最近になって資料の公開が進み、明らかになった事実をもとに、

平和主義を掲げた「日本国憲法」が施行されるまでの

敗戦から、1年8ヶ月を追ったものです。

 

それは、私が漫然と信じていた、

「米国から押し付けられた憲法」という考えは、

間違っっていたと教えてくれました。

 

憲法第9条の冒頭部分、

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し

という言葉は、今ではあまりにも当たり前過ぎることですが、

無謀な戦争を引き起こし敗戦した日本が、

世界でどのような立場だったのか、

新しい国として生まれ変わるために、注がれた想いを、

その言葉から、しっかりと感じることが出来ました。

 

心から平和を希求する昭和天皇、首相、学者、

与党野党の隔たりなく帝国憲法改正に関わった議員の人たち。

そして、GHQマッカーサー元帥も、

日本が新しい国へと生まれ変わるために、

出来うる限りの力を尽くしたのだと知りました。

 

 

マッカーサー元帥は、当初、

日本政府が自ら作る憲法を望み、その過程を見守っていたのです。

それは、昭和天皇の、心から国民の幸せを願い、

平和国家を作り上げたいという気持ちを尊重したからでもありました。

 

「平和国家を確立して、人類の文化に寄与することをこいねがう」

1945年9月2日の終戦から2日目、

敗戦後、第1回目の国会での勅語で、

昭和天皇が、初めて目標として掲げたのが、平和国家であり、

その後の平和主義の出発点でした。

 

文部省が、新しい教育方針を発表したのは、9月15日、

敗戦から1ヶ月あまりで広がった平和の理念は、

焼け跡の人々にとって、輝かしい未来を感じさせたはずです。

 

9月27日、マッカーサーを訪問した昭和天皇は、

「平和の基礎の上に、新日本を建設する」という意志を伝え、

それを了承したマッカーサーは、憲法制定を促したといいます。

天皇も、すでにその6日前には、

憲法改正への調査の依頼をしています。

 

翌年1946年1月には、昭和天皇の人間宣言。

 

一方で、東京裁判の開廷と共に、

天皇の戦争責任を追及する声が、国際社会であがりました。

 

天皇に依頼された近衛文麿も、戦犯とされ自害してしまいます。

 

新しい首相の幣原喜一郎も、改正案作成に力を注ぎ、

着実に平和主義を貫く草案が出来つつありましたが、

世界からのまなざしは、大変厳しいものでした。

 

そこで、幣原は、マッカーサーに直談判し、

「戦争を放棄することを、はっきりと世界に表明すること。

 それだけが、日本が信用を得る唯一の誇りとなる。」と、

憲法に『天皇制の維持』、『戦争の放棄』を謳うことを告げるのです。

 

でも、幣原が設置した

松本烝治を委員長とする「憲法問題調査委員会」の一部が、

君主制、軍隊の存続を主張し、

その草案がGHQの目に触れたことによって、

あまりに保守的であると判断され、

2月3日、マッカーサーが草案を作成することと決まり、

日本が自身の力だけで、新しい憲法を作り上げる道は

絶たれてしまったのです。

 

それでも、天皇、幣原に理解のあったGHQは

日本の意向に沿った案を出してくれていたし、

自衛権を否定もしていないし、

日本が戦勝国の手によって分断されることを阻止してくれたおかげで

今の日本があるのだと思うと、

時代の流れの中で、日本が平和国家であることは

奇跡のように思えます。

 

 

 

GHQの草案を吟味し、

9条冒頭の文言を、熱い議論の末に書き加えた

「帝国憲法改正案委員小委員会」に関しては、

ネットで調べても詳しく出ていません。

 

この時、この委員会が秘密裡に開かれた裏には、

今に繋がる、日本独自の憲法をという、

先ほど書いた、「君主制、軍隊の存続」を主張した、

政府、議員たちの存在がありました。

 

それが、戦後わずか10年後、

改憲を旗印に掲げた自由民主党であると知った時は

本当に、ショックでした。

 

(動画を載せたのですが、アカウントが削除されたとかで、

今は見ることが出来ませんあせる

代わりに、音声だけのものに差し替えましたが、

これを約 1時間聞くのはキツイですよネ汗

本当に申し訳ありません汗しょぼん

 

 

 

(・・・これも今度は非公開になってしまいました。申し訳ありません。)

 

 

ただ、

このようにしてやっと出来た日本国憲法の、

『国民主権』 『基本的人権の尊重』 『平和主義』 を、

今、日本が実現できているのかというと、

そうではないと思えてなりません。

 

改憲も必要な部分もあるかとは思いますが、

日本がどのように戦争してきたかということを覆い隠したままで、

さらなる新しい国へと生まれ変わることは出来ないのだと、

そう思います。

 

 

・・・という訳で、続きを書くかもしれません。

 

 

またまた、長くなってしまいましたあせる

最後まで読んでくださってありがとうございますドキドキ

 

 

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう