閲覧注意:わんにゃん愛好家の方はご覧にならないでください。

↓殺処分画像あり

多くの方の活動により、殺処分の数は近年著しく減りました。



それでも殺処分で命を落とす犬は、猫はごく一部。
マイクロチップの装着で守ることが出来る命はほんの一部です。
産まれてくる命の総数を行政が把握することは到底出来ません。
流通前にどれほどの「間引き」が行われているのか、その実数はけっして表には現れてこないのが実情です。
「幸福な一生」を過ごせる動物はほんの一部。野生より遥かに高い競争率の中、今日も多くの脱落者が命を落とす。
本人(犬・猫)たちは「運」だけで脱落させられます。

かのポスターを掲げていると、やはり時折ペットの話題で話しかけてこられる方が居ます。
先日の話、動物保護のボランティア団体が居ると。
ところが見つけた野良猫の家族の話をして保護してほしいと言うとそうしたことはしていないと。それは保健所に連絡してくれと言われたそうな。
そこでは児童の預かりもしているが有料であるとも話していたらしい。
つまるところボランティアではなくNPO法人なのだろうと察しはつきましたが、このNPO、一見響きはいいですが、つまるところ株主の居ない法人会社であって、一般的に言われる「非営利団体」とは明らかに違うものが多く存在しますよね。
非営利団体なんて言葉を聞くと、=慈善事業のように思ってしまう人も少なからず、いや多く居ると思いますが、中には利益の為にNPOとして登録しているところは少なくない。
以前に比べたら申請も難しいとは聞きますが、それでも通ってしまえば補助金も出る、株主配当も必要ない、順風に乗れば利益は筆頭者の懐に全部入れられる。
当然お金にならないことには手を出さない。
極端な話、野良猫一匹捕まえて寄付を募り、飼育に必要な最低限のもの以外はメルカリで転売することも出来る。
坊主でなくとも丸儲けするのは難しくない。
日本のシステムを使って、耳障りのよい言葉を用い、本来あるべき姿ではない形で利益を得ているところは決して少なくない。
本来ならその目的に割かれるための費用がこうしたところにも流れている。
そして実際に慈善事業をしているところは火の車で、そこに従事する者にまともな賃金も払えない実情がある。
どんなに動物を大事にしたくとも、まず自分の生活を成り立たせなければ保護どころではない、それがゆえ活動できずに居る人も少なくない。よく聞く飼育崩壊なども、元は動物愛から始まったものは少なくないはず。

ネットでもよく金策のCMが流れる。
誰もが稼ぎたいと思うのは必然ではあるが、多くは自らの利益だけに特化し、福利を他にもたらさないものが多い。
日本には元来人の喜びをお金に変えるという思考があった。
今はまるで騙し合いの様相だ。
決して振り込み詐欺だけの話ではない。

動物たちもそんな人間社会の都合に翻弄される。
昭和の時代に野良犬は危険だからと捕獲され、まだ猫は当たり前に街中を闊歩していた。
今は猫も首輪を付けて散歩する時代。
当たり前は変化し、その多くはやはりメディアによって作られる。
洗剤のCMが汚れの恐怖を煽るように、いずれ全ての野生動物が排除されないとも限らない。
狂犬病、エキノコックス、鳥インフルエンザ、今は人間すらワクチン漬け。
ネタなんていくらでもある。基本的に生物であれば、菌なんていくらでも保有しているわけで、必要となればそれを危険だと煽ればいい。
全ては利益のため。
個人が必要を感じなくとも、税で徴収することが出来る。
いったいどれだけの不要なものが売られているのか。

英国における消費税は20%。
それでも医療が常に逼迫している。
税率を上げて賄おうとすることは賃金の引き上げを引き起こし、それがまた増税の必要性を産む。
つまるところそこにバランスの意識が無いのだということ。

○○円使い切ろうなんて番組があるようだが、あれはなんのため、誰のための利益になるのか。
高級肉が売られていながら、逆に子牛一頭がセリで10円で落札されたりする話もある。
出来ることなら自分が100円で買って寿命まで飼い続けたいところだが、そう簡単に行かないのが今の社会だ。
個人には出来ないことが多い、だが行政が手を出すことも限られる。
NPOも前述の通り。
人間の社会の中で、多くの動物はまな板の上の鯉でしかない。
人間の娯楽に対する欲求は際限なく、しかしそれに歯止めをかけなければ人間と動物の本当の意味での共生などはありえないだろう。
たかがボールとバットだけが贅沢品な時代もあった。
お金のかからない石で遊び、せいぜいお駄賃で買えるメンコや独楽、それを宝物としていた。
今の当たり前はなんなのか。

今でも安いものはたくさんある。
いや、今だからこそ安いものもある。
百均のおもちゃなど、50年前と変わらない値段のものまである。
たがなせか「あって当たり前」のものがあまりにも増え、まるでそれが無ければ生きられないように意識づけられている。
実はただの贅沢品である「必需品」、その贅沢品をほんの少し置き換えたらきっと救える命も少なくない。
運頼みでしか生きられない命が未だに多く存在している。
ほんの少し贅沢する場所を変えられたら救われる命は少なくない。
確かに動物と暮らすのはお金がかかること。
でも命とはお金がかかって当たり前であって、でもそれ以上の喜びを与えてくれる。
きっと多くの人がもっとこうした命を尊重することでしか今の社会は変わらない。
目を背けることで、きっとそれが自らを利益を追求するものの餌食へと変えてゆくのだと思う。