ところで、只今、確定申告の真っ只中でございますが、

皆様は「ふるさと納税」をされていらっしゃるのでしょうか。

 

中には、何十万円も 寄付をされる方がいらっしゃるようですが…、

 

今日は、そんな方々の為に、ハッキリとお伝えしておきたいと思います。

 

 

 「ふるさと納税」は、いくらやっても 徳を積んだ事にはなりません。

 

 

 神様がおっしゃる「徳」とは、「陰徳」 = つまり、読んで字の如く「陰の徳」を指します。

 

 

「陰の徳」とは、人が見ていない所で、ゴミを拾ったり、汚れているところを さり気なく掃除して キレイにしたり、落し物を拾ってあげたり…、本当に さり気なく 地味に、世の中の為に尽くすことです。

 

 

誰にも、自分がやった事だと気付いてもらえない、知られていない、誰も見てくれていない、誰にも褒められる事がない…。

 それでもなお、続けて行く…。

 

 

誰からも 称賛される事なく、お礼を言われる事もなかった、

その 小さな小さな善行の数々…。

 

 

しかし、「天は見抜き見通し」。

神様だけは、それをじっと見ておられるのです。

 

 

これが重なって、ある時、人の代わりに 天からご褒美を頂く、

これが「幸運」なのです。

 

 

一方、「ふるさと納税」をたくさんやって、

自分は すごくいい事をしているつもりになっているかもしれない方々。

 

 

お礼やお返しを頂いて、人から称賛されたり、

更には税金の控除まで受けたりする事によって、

自分から差し上げるどころか、むしろ、受け取る物のほうが多かったりするのだから、それらの「対価」を受け取ったところで「終了」となります。

 

 

天から お礼とお返しを頂く前に、ちゃんと、

人から お礼とお返しをもらいましたよね。

 

 

前項で述べた「出入口」の原則に照合しても、

出した分、受け取って入って来ているのですから、これで完了です。

 

 

 

更に言えば、物を受け取るだけならまだしも、税金の控除を受ける事は、

霊的な視点から見ても問題があると思います。

 

 

実は、税金を納めることも、本来は、巡り巡って 人の為、地域を支える為、国を支える為の、「徳」を積む行為であると言えるのです。

 

 

 (だからこそ、今の政府や 自治体による税金の使い方には、

 納得がいかない訳でありますが…。)

 

 

 

住民税は、居住している場所に納めるのが当然の事と思います。

 

なぜなら、あなたが今、生活しているその場所から、あなたは様々な行政サービスを受けているからです。

 

 

例えば、あなたが今日 出した「ゴミ」は、誰が回収してくれているのですか。

 

毎回、魔法のようにして、集積場からゴミが消えている訳ではないのです。

 

 

住んでいる人が納めた税金を使って、車でゴミを集めて来て、分別したり、燃やしたり…、

いくつもの行程を経て、処理されているはずなのです。

 

 

ですから、住んでいる地域のサービスを受け取っているにもかかわらず、

税金を、他の地域に納めてしまい、

本来であれば、満額で納税しなければならないはずの、自分が居住している地域の税金を控除されるなんて、「出入口」の原則にも反していますよね。

 

 

本来「出さなければならないものを満額で出さず」 「受け取っていたものがある」

 以下に、表してみます。

 

 

 () 納めた税金 80  =  () 受け取ったサービス 100

 

 ※ (差額返さなければならない 借りを作ってしまった因縁 20 が発生

 

 

 

人間が勝手に作った法律では、OKかもしれませんが、

天の法則、つまり神様の法律の許では、アウトです。

 

 

 

出したものと 入ったものが、イコールではない。

 

 

これは、いつか、受け取った対価の差額分を、

 

・お返ししなければならない

・出さなければならない

・支払いをしなければならない 

 

という因縁を積んだ事にもなりかねないのです。

 

 

 

そうやって、自分の手元に蓄財した分を、どのようにしてお返しするのか…、

 

・人から騙し取られるのか

・災害で、全て流されて失う事になるのか

・病気にかかり、多額の医療費を支払う事になるのか

 

どのような形で、将来、相殺されるのか分かりませんが…、

 

 

 () = () が、イコールでなければ、

どちらかを埋めようとする作用が働くはずです。

 

 

 

 そんなに「寄付」がしたいのなら、

きちんと 天の神様に届くやり方をお伝えします。

 

 

それは「匿名で行う」ことです。

誰がやったのか分からないように、名前を伏せて、見返りを求めないで行うことです。

 

 

そうすれば、誰からも称賛される事もなく、お礼を頂く事もないので「陰徳」となり、天に届くのではないでしょうか。

 

 

 

「出入口」の原則に当てはめても

 

 () 100  =  ( 0 

 

となりますので、いつか、ご利益を頂く事が出来たらいいですね。

 但し、今世ではなく、来世になる可能性もありますが…。

 

 

 

そうやって捧げた「真心」が本物であるのなら、必ず、あなたの「天の台帳」には、善行を行った記録が残されることになりますので、神様も決して、それをお忘れになることはないでしょう。